スリランカの結核

結核研究所 国際協力部 部長  下内 昭

 

国の概況

 スリランカの人口は1860万人、中低所得国で、1人あたりの国民総生産は709米ドルと低い割には、識字率が男92.5%、女87.9%と高く、乳児死亡率は出生1000対14.8と 非常に低いレベルを達成しています。
 ただし、過去20年以上タミール人の独立運動があり、北部および東北部は今もゲリラ活動が続いています。今年3月にWHOの専門家とともに訪れましたが、首都コロンボの街のあちこちに土嚢を積んで、 兵士がマシンガンを構えていました。また、滞在中に全国の地方選挙がありましたが、紛争地域では選挙は実施せず、選挙の後2日間、夜は外出禁止令が出たりして、政治的緊張感を十分感じました。
 

結核対策の歴史

 国の結核対策は、結核が登録疾患と定められた1910年にさかのぼります。45年には全国的に結核対策が展開します。当時、拠点として胸部疾患クリニックが各郡(全国は8県25群に分けられる)に設置されました。 その後、70年にWHOの勧告に基づいて、結核対策は一般医療機関での診療に統合され、週2回のストレプトマイシンを含んだ治療が、ほとんどすべての医療機関で実施されました。 ところが、80年代に入って一般医療機関を監督するための出張旅費がつかなくなり、診断治療が再び胸部疾患クリニックに集中し始め、結核対策が急に弱体化しました。 さらに、89年には結核の脅威が減ったという理解から、中央では「結核対策課」から結核以外に喘息、慢性肺疾患なども扱う「呼吸器疾患対策課」へと組織変更があり、政府、専門家、そして一般の間でもますます結核に対する関心が低くなっていきました。 また、その頃から地方分権の傾向が強まり、胸部疾患クリニックも中央政府から郡政府に移管され、予算、人事管理も各郡に任されるようになりました。 その結果、中央政府は、2カ所の結核病院と2カ所の胸部疾患クリニックを直接管理するだけになりました。各郡の胸部疾患クリニックには技術支援をすることになっていますが、課長以外に国を回れる職員はおらず、また、出張旅費も十分ではありません。 このような状況から、当然結核対策は過去10年間、沈滞してしまいました。
 

結核の疫学

 1984年から95年まで、過去10年間の患者登録率は、全結核は人口10万対で26から35までの間、肺結核塗抹陽性は同じく12から19までの間であり、特に減少していません。 登録率の男女差は、子供ではありませんが、大人では、男の方が女よりも2〜3倍高くなっています。年齢別では、45歳以上の年齢層は全人口の20%を占めるだけですが、全結核患者の半数以上はこの年齢層であり、他の発展途上国に比べて患者が高齢化しています。 これは、結核の感染率が下降し始めているしるしと考えられますが、最近10年間の登録率が全然減少していないことを考慮すると、必ずしも楽観できません。 死亡率も最近10年間で人口10万対1.1から2.2の間で、減少していません。 ちなみに、日本の95年の全結核罹患率が人口10万対34.3、死亡率が94年で人口10万対2.4ですから、数字だけを見ていると政府が「結核はもう終わった、もう重要ではない」と思ったのも無理はありません。
 

治療方針

 肺外結核、肺結核、塗抹陽性、陰性に関わらず、全例に対して6ヶ月間リファンピシンを含んだ短期化学療法を、他の医療と同様すべて無料で実施しています。DOTS(直接監視下短期化学療法)に関しては、最初の強化期の2カ月入院で実施することにしていますが、 実際には、患者の希望と、病床が足りない理由で1カ月以内に退院するのがほとんどです。維持期も投薬を監視していなくても、リファンピシンを処方しています。
 

結核対策の現状と調査の結果

 一見、日本の統計数字に近い成績でありながら、過去10年間全く改善していないという傾向を見ていると、何かおかしいのではないかと私たち調査団は考えました。 現在は、主に2カ所の結核病院(ただし、そのうちの国の北端にある病院は現在治安が悪く、機能していません。) と全国で20の胸部疾患クリニックで診断と治療がなされています。8カ所の胸部疾患クリニックで調査したところ、治癒率は72%でそれほど高くはなく、その原因の第1として治療中断率が13%と、10%を超えていました。 外来で治療が中断した場合、手紙を2回まで出すことになっており、それでかなり治療に帰ってくると言います。 しかし、高い治療中断率を見ると、それではやはり不十分です。 誰かが治療中断者を訪問すべきですが、そこまでは手が回らないようです。
 さらに、調査団のあるグループが政府の薬局を訪れて分かったことは、一般病院でも結核患者が治療されているにも関わらず、登録されていないということでした。 同様のことが私営医療機関でもあり、ある地域の推計では、登録されずに治療を受けている結核患者は全体の35%になりました。 また、ある地域では、高齢者の結核患者が少ない理由として、胸部疾患クリニックが遅いので、高齢者はよほど症状が悪くならないと診断や治療に訪れないということでした。 それが本当かどうかは、確かめるすべはありませんでしたが。 しかし、面接した高齢者の結核入院患者は、入院するまでに何ヶ月も症状があったということでした。 調査団としては、治療を受けていない者もある程度の割合でいると考え、実際には患者数、死亡数とも報告されている倍であると推定しました。
 

結核菌検査の現状

 結核の診断は、X線と塗抹検査によって行われています。しかし、20ある胸部疾患クリニックの検査室のうち、検査技師が不在であるとか顕微鏡がないとかいう理由で、8カ所しか活動していません。 訪問した検査室では、電気、水道、ガスの供給は十分でした。塗抹検査に必要な試薬は、各検査室で調整されていました。 器具の供給も十分でしたが、スライドグラスだけは、一枚に2検体を塗抹して利用したり、陽性であったスライドは捨てるものの、陰性であったスライドは再利用していました。 顕微鏡はオリンパスの双眼が用いられ、概して良い状態でした。
 仕事量としては、訪問した5カ所での検体数は日に4〜21枚であり、技術を維持するのにちょうどよい量でした。 ただし、(これは医師の指示によるものですが)塗抹陰性の場合、3回検査をして確かめるべきところを、約3割しか、それを実行していませんでした。
 記録のしかたについて、WHO方式の台帳が取り入れられていますが、十分行き渡っていませんでした。 また、そもそも塗抹検査の標準マニュアルも存在していない状態で、全国の検査室の標準化ができていません。 一応、中央の検査室がいくつかの検査室とスライドのやりとりをして精度管理をしようとしていますが、まだ、参加している検査室は5カ所と少なく、その方法も確立していません。 また、標準化を徹底するための指導をするにも、中央からの旅費もない状態です。
 

患者登録制度

患者登録票は、一部、コロンボの呼吸器疾患対策課の統計室に集められ、コンピューターに入力されます。ただし、訪問中は機械の調子が悪く、新しいコンピューターを入れたいと言っていました。 統計の担当は2-3人いましたが、停電も時々あり、入力がいつもできるわけではありません。また、処理したデータが思い通りにすぐに引き出されるというプログラムでもありませんでした。 例えば、コロンボの都市部は、罹患率も高く、治療中断率も高いのですが、そこには、スラム地域があり、若者も多いので、若年者の患者が多いと推定されましたが、地域別年齢別のデーダはすぐには出ませんでした。 解析に必要なデータがすぐに出るようになれば、せっかくの全国登録制度ももっと、生かされるのですが。
 

結論・助言

結核対策の制度は一応整っていながら、中央からの監督が十分でないために、診断・治療の質が低下し、統計すらも不十分になっています。胸部疾患クリニックの担当専門医師が、熱心であれば、結核対策も進むが、喘息やその他の慢性疾患により興味を持てば、それだけ結核対策がおろそかになっています。 その意味で、何よりも、中央からの定期的な技術的助言が重要で、結核担当課の人員の増加、少なくとも、課長補佐が一人必要です。 その他、調査団として、勧告したことをあげると以下のようになります。
(1)結核プログラムを強化するために、中央に検査担当の専門家を置く。中央や胸部疾患クリニックに医療機関などを監督するための車を確保する。結核統計のためのコンピューターを供与する。胸部疾患クリニックの空きポストをうめる。胸部疾患クリニックにX 線機器と検査機器を整備する。
(2)登録もれの患者、適切な治療を受けていない患者がいると思われるので、一般病院にも結核対策を導入する。そのために、地方にいる公衆衛生医官と各郡の結核担当官が十分連絡を取る。
 

おわりに

訪問するまでは、スリランカでは、結核は余り重大問題ではないと思っていましたが、まだまだ、解決していない問題が多く見つかりました。 国の中では、高齢者が多くなり、日本と同様の慢性疾患が比較的重要になってきていることは、間違いないですが、結核の現状については、現場を見ないで、統計数字だけを見て安心してはいけないことを、身をもって学ぶことができました。 しかし、スリランカの国際協力事業団事務所は、規模が大きく、援助が多方面でなされているので、もし、国から要望があれば、かなりのことに答えられるとも思いました。 また、この秋にでも結核研究所から訪問して、上記の助言がどれだけ実行できたかを確認する予定です。 人材や財政面で資源はあるのですから、頑張ってほしいものです。


Updated 99/06/24