老人施設での結核予防

 

結核研究所長   森  亨

 

 先日新潟県の特別養護老人ホームで起こった結核集団発生についての新聞報道があり、関係方面に波 紋を起こした。平成10年度厚生省新興再興感染症研究事業研究「再興感染症としての結核対策のあり 方に関する総合的研究」研究班(班長筆者)ではこれについて調査・検討を行い、その後開催された公 衆衛生審議会結核予防部会に結果を報告した。この問題は今後の日本の結核対策について暗示するとこ ろが大きいので、以下この報告を中心に、検討を行う。

 

●経過

 結核集団発生が起こったのは新潟県下の特別養護老人ホームであり、単独型100床の 施設である。平成7年4月、入居者Aさん(女性)が塗抹陽性肺結核であることが発見され、同時期に 2人が相次いで結核を発見された。さらにこれに伴って行われた入居者、職員、患者家族等の定期外検 診によって5人の入居者が活動性結核であると判明したのを皮切りに、その後の検診、一部有症状受診 によって平成9年6月までに入居者を中心に職員3人を含む合計23人の結核患者が発見されたもので ある。なおマスコミ報道では27人となっているものもあるが、そのうち4人についてはその後活動性 結核でない、あるいは偶然同時発生と判断され、今回の検討には含まれなかった。
 調査によれば、Aさんは平成5年頃から呼吸器症状があり、B協力病院をしばしば受診、特に平成6 年12月には同病院に入院し、肺炎と診断された。平成7年2月には退院して施設に戻ったが、症状は 続いていた。平成7年4月、新たに協力病院となったC病院で塗抹陽性結核であることが判明し、ただ ちに隔離されたが、平成8年11月結核のため死亡した。なお、Aさんには昭和58年に結核の化療 歴がある。
 Aさんおよびその後発見された患者の菌株の大部分についてDNA指紋(RFLP)分析が行われ、 17株が同一パターンであることが判明した。発見された患者の菌はすべての薬剤に感受性で、それぞ れ専門施設で結核に対する化学療法を受けたが、そのうち3人(患者Aさんを含む)が結核で死亡して いる。

 

●分析

 患者発生の時間的関連、症状、および病気の経過、そして他の患者との接触状況などから見て、初発 患者は確かにAさんであり、残りの患者はこの患者からの被感染者であろう。患者Aさんは早い時期か ら呼吸器症状を訴えていたにもかかわらず診断までに長期間(少なくとも4ヵ月)を要し、症状がありな がらかなり活動的で、施設内で広く対人接触を持っており、症状がbU3と進展しており塗抹所見もガ フキー6号と大量排菌であった。
 従来の結核病学の教えるところでは、これら入居者のように年齢が70歳以上ともなれば、今の日本 人の大半は結核既感染であり、これらの者が新たに感染(外来性再感染)を受けても何らの問題を起こ さない(初感染発病学説)。ところが今回の事例ではRFLP分析から知られるように患者の大半が同 一菌株の感染によるものであり、したがってそれらの大半は既感染の者に新たに感染(再感染)が起こ り、それによって結核が発病したと考えるのが自然であろう。今回患者のX線所見を検討したところで は、「中下肺野に原発する浸潤影」、「胸膜炎」、「進展病巣を持たない粟粒結核」が多く、また石灰 化巣、胸膜癒着像、肺野繊維化巣などのあった者がその後発病しており、いずれからも外来性再感染に 引き続く発病(初感染型の発病)という考え方が支持される。検討の過程で3人が結核を否定されたり 、明らかに他からの感染であるとされたので、確認された続発例19例中、16例までが外来性再感染 による発病例(他は職員など若年者)と考えられた。これらの患者の全員が何らかの疾患を持っている か、肺炎などで死亡したケースであり、多少なりとも免疫抑制状態にあって、それが外来性再感染を許 してしまったのであろう。

 

●米国では70年代から

 このような事例は米国では10年以上前から報告されるようになった。次に掲げるのはその最初の事 例である(William W. Stead: Tuberculosis among Elderly Persons: An outbreak In a nursing home. Annals of International Med 94: 606-610,1981)。
 米国アーカンソー州の田園地帯にある、管理の行き届いた240床の老人ホーム。入居者の平均年齢 は76歳。1978年当時、多くの類似施設と同様、結核対策としては入居直後のX線撮影だけ、ただ 職員には採用時にツベルクリン反応検査(ツ反)、これで陽性者にはX線撮影、また35歳以下の陽性 者には化学予防、陰性者はその後毎年ツ反となっていた。
 この施設で78年、施設の保健婦から職員定期ツ反検査で陽転者が多いという報告があった。前後し て入居者の1人が結核と判明、これが感染源と疑われた。初発患者は3年前に入居した72歳の男性。 77年6月、小外科手術のため病院に入院した際にX線で左上肺野に病巣を発見され肺がんを疑われた が、患者は精査を拒否した。施設に戻った後は咳が持続し体重も減少したが、これらの症状はがんのた めとされ放置された。この間患者はホーム内を自由に行動していた。1年後の78年6月、喀血のため 入院、X線上空洞を伴う浸潤影、痰の塗抹検査は陽性と判明した。
 施設内の接触者検診では、入居者・職員のうち既陽性者以外にはツ反が実施された。入居者では陽性 率(陽転率)は41%であった。陽転者にはX線検査を行い、これから患者2名が発見された。陰性者 は2ヵ月後再度ツ反を行った。職員の陽性者には化学予防を行ったが、入居者には何も行わなかった。  年が明けて79年1月、65歳の入居者で白血病の患者が、中肺野の浸潤を伴う菌陽性の結核である ことが判明した。この患者は先に発見された2人の続発例の同室者であったが、ツベルクリン反応は陽 転していなかった。他のアレルゲン検査から白血病のためアネルギーの状態になっていることが判明し た。79年3月、以前に陰性だった入居者と職員に再度ツ反、入居者21人、職員10人が新たに陽転 、それぞれから1名の患者を発見した。
 その後の発病例も含めて続発患者は9人となり、感染を受けた者は入居者50人(31%)、職員2 1人(15%)に及んだ。職員の中では配膳・看護部門が最も陽転率が高く、事務、労務は低かった。 2次発生患者は先の1例を除いてすべてツ反陽転者から出ており、多くは初発患者と同じ棟に生活して おり、別棟にいた1人は食堂で初発患者と一緒だった。入居者以外では職員が1人、さらに両親が入 居していて、よく見舞いに通ってきていた65歳の女性も結核を発病した。彼女は初発患者と親しかっ た。
 発病した10人中6人まで発見時の症状は重症で、病理発生上「進行性初感染結核」に一致する。菌 が分離された患者からの5株はすべてファージB型であった。
 79年の患者発生以降、一連のツ反で陽転とされた入居者(平均年齢72歳)に化学予防をすること とした。1年間の投与を終了した者からは発病例は出なかった。3人が吐き気、GOTが3倍以上上昇 したためINHを中止した(その後回復)。何らかの理由で化学予防されなかった者からその後2人が 発病した。
 著者らはこれが米国で起きた老人ホーム入居者の間にみられた結核集団発生の第一例として報告し、 これを皮切りに著者のステッドがその後老人ホームの結核対策に関する論文を次々と発表していくこと になるのだが、その主張するところは以下の4点にまとめられる。

老人といっても結核感染を受けていた人は従来考えられてきたよりも意外に少ない(30%以下のこ とが多い。ゆえに感染曝露により初感染結核が起こりうるし、抵抗力が少ない患者ではそのまま重症に 進展しやすい)。

ツ反陰性者の中には既感染ながらも超高齢・病気のための免疫抑制からくるアネルギーの場合と、単 なる反応性の減弱(ブースターをかければ陽性になりうる)の場合があるが、前者の場合には(前記の 事例では白血病の患者のように)外来性再感染による発病が起こりうる。

老人の結核発病率は高く(既感染者からの内因性再燃を中心にして)、これに@Aによる二次発生の リスクが重なるので、施設内はいわば結核流行状態になっている。

その対策として、施設内で結核患者が発生したらツ反を行い、陽転者には化学予防を行うべきである。

 これは70年代の初めに、米国ではかなり先進的に中高齢者の結核は内因性再燃による発病が大部分 であると主張していたステッドが、いわば発展的に軌道修正をしたものとして我々はきわめて感慨深く 望見していたものであった。しかし、日本でもいつの日にかは起こりうることとは思いながら、高齢者 の既感染率(70%以上)から見てまだかなり先のことと考えていたのである。

 

●これからの対策

 しかし前記Aの様式の発病を許す状況が日本の老人施設にも案外広がっている可能性をこの新潟の事 例は初めて、しかも生々しく示したものと考えるべきであろう。つまり高齢と基礎疾患罹患による免疫 抑制状態にある入居者の集団生活という状況である。それに診断の遅れによる長期・濃厚曝露(もしか すると、最近話題になっている「スーパー結核菌」ー感染力・毒力が異常に強い結核菌株ーも一役買っ ているのかもしれない

が)が加われば、これまでは「一例報告」ものであった外来性再感染による結核 発病が集団的に起こりうるということである。さらに10年もたてば、初感染発病・進展も無視できな くなるであろう(表)
 このようなことから、日本の老人施設内での結核対策のあり方についていくつか考えてみた。なお、 これは外来性再感染発病というよりは、より広く、その可能性も考慮に入れた結核ハイリスク集団とし ての高齢者の結核予防のあり方ととらえるべきである。

患者の早期発見のために、日常の健康管理体制の徹底、そして施設によっては協力病院の結核に対す る認識の向上が必要である。

同様に早期発見のために定期検診の拡充が必要である。これに関して、結核予防法第4条の定期検診 についての規定を受けて、政令はこれを「老人福祉法」「生活保護法」「精神薄弱者福祉法」「売春防 止法」に定められた施設に対して施設の長の実施義務としている。老人関係施設については、「養護老 人ホーム」「特別養護老人ホーム」「軽費老人ホーム」がこれにあたる。一方、法4条の対象とならな い老人関連施設として「老人保健施設」があるが、これは医療提供施設とみなされるからである(精神 病院も同様)。また同様に「有料老人ホーム」はいわばアパートと同じ位置づけのため、入居者の一人 一人が市町村長の実施する定期検診の対象となる。施設の長による定期検診対象外の施設については、 入居者が必ずしも住民登録を施設の所在地に持っていないこともあるため、現行制度では単純に住民検 診を利用できないことも起こりうる。精神病院や零細事業所の定期検診などとともに、今後の結核行政 の残された一つの検討問題である。例えば、米国での議論Bのように、これらの施設を高度蔓延集団と とらえた対応(法5条)が必要なのではないか。

入居後の早い時期に個々の入居者について結核発病の有無についての医学的な評価(健康診断)を確 実に実行し、必要に応じて化学予防などを指示すべきである。なおこの化学予防の普及については、平 成10年7月の公衆衛生審議会結核予防部会の緊急提言を受けて厚生省が本年度の事業として打ち出した、「 中高齢者の化学予防についての地域指定モデル事業」の成果が参考になることと期待される。

老人施設では今回のような外来性再感染によらない、いわゆる偶然同時発生も起こりやすく、両者の 区別はかなり微妙なことがある。そのため、発生機序や対応に関しては専門家に意見を求めるなど、慎 重な対応が望まれる。それ以前にこのような事例の予防、対策の全般に関して保健所が十分な監督・指 導をすることが必要である。

このような施設の職員は入居者よりも当然高い感染・発病のリスクに曝 露されており、彼らの結核予防も重要である。これについては先に結核病学会予防委員会がこのような 施設にも適用すべきこととして発表した声明「結核の院内感染防止について」がある。

施設内で1例でも患者が発生した場合には、保健所は「結核定期外健康診断ガイドライン」に従って 検診を進める。複数の患者の発生を見た場合には結核菌DNAのRFLP分析が有用なので、複数患者 の発生が予想される場合には菌株を保存すべきである。

研究の必要性。このような問題の発生の実態、高齢者の結核感染の実態、その診断の方法、免疫抑制 の状況、さらに施設・入居者の背景・実態など、理想的な対策のあり方を決めるためにまだ解明すべき ことが少なくない。広い角度からこの問題を研究することは緊急の課題である。


Updated 98/12/18