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1963年,アジアの7人の医師を招いて第1回結核国際研修が開かれた。以来現在までに86カ国より1,700人以上の卒業生が清瀬から世界に飛び立っていった。
40年後の2003年2月17日,結核予防会総裁秋篠宮妃殿下のご臨席をいただき,40周年記念式典及びシンポジウムが,JICA(国際協力事業団)国際協力総合研修所にて行われた。当日は結核予防会本部及び各事業所,各支部,婦人会,外務省,厚生労働省,JICA,WHO(世界保健機関),IUATLD(国際結核肺疾患予防連合),ASEAN諸国を含む17カ国等から計172名の参加があった。
記念式典では,総裁秋篠宮妃殿下からお言葉を賜り,また国際研修に多大な貢献をされたとして,結核予防会島尾顧問に青木会長より感謝状が贈呈された。
式典に続くシンポジウムでは,結核予防会石川国際部長を座長に,WHOストップTBパートナーシップ医務官のDr. Ian Smith,ネパール国立結核センター所長のDr.
Dirgh Singh Bam,フィリピン保健省疾病対策センター結核担当医務官のDr. Jaimey Y. Lagahidら3名の研修卒業生,JICA藤崎医療協力部長及び筆者がシンポジストとなり,厚生労働省大臣官房国際課岡本国際協力室長,外務省経済協力局調査計画課國井課長補佐から特別発言をいただき,世界の結核対策における人材育成に果たした国際研修の役割について,意見交換が行われた。
疾病対策研修がこれほど長期間継続している例は世界でも稀である。これは国内外の多くの関係者の協力があってこそ実現できたわけであるが,その根底には"人材育成は一朝一夕にはできない"という先人の固い信念があった。病院や医療機器,薬は簡単に手に入るが,それを動かす人作りには時間がかかる。保健インフラの未発達な発展途上国では,プライマリヘルスケアを育てることが重要であり,その担い手は有能な人材である。貧困にあえぐ途上国は結核にもあえいでおり,その対策を進めるのも人である。過去40年の結核国際研修は有能な人材を生み出し,保健大臣,WHO専門官,そして在野で結核と戦う真摯な医師たちを輩出した。世界で結核対策に取り組む多くが研修卒業生である。また国際研修を通して,ホームベースである結核研究所と世界の間には,人材ネットワークが作られている。研修生との間のみならず,国際機関で活躍する結核及び保健の専門家は講師として研修を支援し,また日本人講師陣は途上国での国際協力を通じて,結核対策の現場で人材育成に直接関わってきた。このように幾重にも重なり合ったネットワークが,研修の質を高め,有効な人作りをもたらし,ひいては世界の結核対策に貢献してきたのである。
記念式典で見られたように過去40年の実績は誰も否定しないが,問題は今後さらに長期にわたり国際研修を続けることが可能かであろう。わが国で最近まで結核が重大問題であったために政府も力を入れた結果,結核分野には技術の蓄積があり,人材も比較的多い。長期間にわたる結核研修を通した国際貢献を可能にさせた秘密はここにある。わが国の結核が減って行くに連れ予算も削減され,日本人の結核専門家の養成が難しくなりつつある。一般に人材育成の重要性は誰しも認める一方,手間ひまのかかる研修は業績にもならず,誰もやりたがらないのもまた事実である。過去の積み重ねを壊すことは簡単であるが,一旦壊したものはそう簡単には元に戻らない。保健医療分野の国際貢献として,わが国に何ができるか,そして世界が今何を必要としているかを考えた場合,結核国際研修の将来には,大局的な見地からの判断が求められていることに気づく。