アメリカの結核対策 小野崎 郁史 |
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「アメリカがくしゃみをすると世界がかぜをひく」
現在の世界的な結核対策の盛り上がりは、WHOの強力なリーダーシップ、IUATLD、日本やオランダなどの国際協力における長年の努力の成果であることは言うまでもありません。
しかし、国際的関心という点では皮肉なことに、1980年代半ばからのアメリカ合衆国における結核の増加とそれをめぐる報道が最も寄与したと言っても過言ではありません。
アメリカの結核患者数と |
結核の増加に危機感を抱いた行政や医療界はDOTS(直接監視下短期化学療法)の普及など、結核対策の再強化に立ち上がり、アメリカの結核が最近再び減少に転じたことはみなさんご存じのとおりです(図参照)。
今やアメリカの結核対策の成功はWHOの推進するDOTSの普及・宣伝に一役かっています。
私は、昨年5月より1年余りの滞米中、ボストン、ニューヨーク、ニューアーク、デンバーなどの結核対策の現場に接し、多くの関係者と語り合うことができました。 私の見たアメリカの結核対策の現状と、彼らから学べることをまとめてみようと思います。
地域の特殊性と独立
一口に国の結核対策と言っても、アメリカの保健医療政策は州によってかなり異なり、結核患者の隔離などを定める法律も州ごとに制定されています。また市などの地方自治体の制限が強いことより、国のガイドラインを参考にしつつも地域の特殊性を生かした結核対策の展開が比較的容易です。
例えば院内感染対策では、94年のCDCガイドラインが有名ですが、各医療機関がそれぞれ「感染症対策委員会」などを持っており、実状に応じた規則を定めています。
また、DOTSへの考え方も様々で、例外なく全患者に適応する地区もあれば、必要とされた患者のみという選択的DTOSをとり入れる地区もあります。また、DTOSも外来中心、在宅訪問治療中心など地区により様々です。 国全体で画一された結核対策でないことは、関心が低下した際にサービスの空白地帯を生んでしまう可能性はありますが、結核の治療に地域の行政機関が直接関わっていることで小回りの効いた対策が可能という点で優れています。
行政(公立)機関の大きな役割
アメリカの結核対策の支えに、結核やエイズなどの感染症への行政の積極的なかかわりがあります。結核と診断された大半の患者は、公的医療機関へ紹介されてきます。
これにより、結核患者より医療費を一切徴収しない治療、感染症専門医の判断による治療、統一された接触者対策、そして社会福祉と一体となった患者サービスが可能になります。結核の患者の多くが貧困層であることが、これらのサービスの必要な原因という考えもありますが、結核は「社会の病」であり、社会・行政が責任をもって治癒させるのだという強い意志を感じます。
結核菌の検査も、日本の県衛生研究所にあたる機関に集約して無料で実施するようになってきています。登録については、州により若干差がありますが、結核・結核疑いを診断した医師・医療機関のみでなく、菌を検出した検査機関や患者が発生した学校などにも地域・州公衆衛生局への報告義務があります。
このうち、CDC(疾病対策センター)全国基準に基づき最終的に結核と判定された者が国のサーベイランス・システムへ登録されます。したがって、州への報告と国への登録には数的にも時間的にもかなりずれがあります。
短期入院治療と直接監視療法の拡大
ここで典型的な塗抹陽性の新患者の例を考えてみましょう。
外来で肺結核と診断された患者は、2週間毎日4剤服薬の完全監視下におかれます。この間は、原則として隔離入院とする地区も多くありますが、外来治療や専門の保健婦・看護婦などが毎日患者宅を訪問し在宅治療とすることも都市近郊では広く行われています。
接触歴・病歴や治療の経過で多剤耐性菌感染の疑いがなければ、通常2週間で入院治療は終了します。その後は外来治療に移りますが、2カ月までは毎日または週2回4剤、その後は4カ月週2回2剤の計6カ月(26週)のDOTSが一般的になりつつあります。 私の住んでいたマサチューセッツ州では、DOTSは医師や公衆衛生・感染症専門ナースの判断で必要とされた患者にのみ実施されていますが、ニューヨークやデンバー、ボルチモアなどの経験から「肺結核患者はすべてDOTSに」というのが全米に原則として広がりつつあります。外来の治療では、きちんと服薬している患者に対しては就業・就学の不必要な制限や生活の規制などは行わないのが普通です。
さてDOTSですが、患者の利便に対する配慮には驚かされます。クリニックは予約制が多いのですが、通勤前後の通院が可能なような早朝・夕方の当番もあります。
また、地下鉄や市バスの往復切符の支給は当然ですし、サンドウィッチとジュースなどの軽食が自由にとれるような部屋も用意され、通院に対する報奨となっています。 また、一定期間規則正しく治療を受けた患者にはミールクーポンが支給されます。これがどこへ行ってもマクドナルドの金券なのはアメリカらしさなのでしょうか。クーポンをためて子供を外食へ連れていくことを楽しみにしている失業中の父親もいました。
通院は医師の診察時や検査時のみで、通常はスタッフの訪問による治療を受けている患者も多くいます。看護専門職による患者の監視はスタッフ数やコストの点で難しいため、症状安定後の日常の訪問はトレーニングを受けた患者訪問専門の非医療職によって行われています。
大学卒業者が原則ですが、社会全体の失業率が高いせいか、カウンセリングや社会福祉分野での活動の経験のある熱意あるスタッフが多く集まっています。ニューヨーク市のハーレム地区では、元結核患者で地域の結核患者のためにとスタッフとして働いている者もいました。
薬剤師により包装された1回分の薬剤がスタッフの手で患者の家や勤務先に届けられます。患者のプライバシーもあり、届け先が家の近くの公園や勤務先近くの街角であることもままあります。スタッフは、患者が薬剤のすべてを取り出し呑み込むことを確認します。水の替わりに機内食についているようなカップのジュースは常に持ち歩いていますし、必要に応じ液状の栄養補助食品を使用することもあります。患者から副作用などの心配な訴えがある場合は、上司であるナースに上申されるしくみになっています。非医療職スタッフは患者訪問時に医療上の判断をすることは堅く禁じられていますが、生活の不安や子供の問題などの話し相手となり、患者との間の信頼が築かれていくことが多いようです。
DOTSの採用によって、これまでと最も大きく違ってきたことは、医療を供給する側が結核という病気のみならず、患者を取り巻く様々な問題に直面しなければならないことです。貧困、麻薬、エイズ、失業、住宅問題、偏見などあらゆる問題を目の当たりにして、私自身圧倒されてしまいました。DOTSの実施にはそれなりの覚悟が必要です。医師だけでなく、看護婦、保健婦、カウンセラー、社会福祉の担当官などが専門家としての誇りと権限をもち、チームとして機能することでお互いに支え合っていくことが必要と感じました。
結核治療と人権
さて、患者を治癒させるためとはいえサービス過剰ではとお思いの方も多いかと思いますが、アメリカの結核対策が現在のような形を広くとりだしたのはごく最近のことです。
公的サービスの後退による結核再流行の懸念は以前より専門家から指摘されていましたし、エイズや移民の増加による結核の増加は80年代中頃には現実ものとなっていました。エイズとの合併症のデータは完全なものはありませんが、ニューヨーク市の95年の全登録者中HIV(+)801(32.8%)、HIV(−)752(30.8%)、不明892(36.5%)です。 また出生が米国外の患者の割合は86年に22%であったのが、95年には36%に増加しています。しかし、ゲイの病気として偏見を持たれたためエイズ対策が遅れたように、結核対策も決して順調な歩みであったわけではありません。
結核に社会の関心が集まり、行政が動きだしたきっかけは、“エイズの患者でも移民でもない白人の刑務所看取が結核で死亡”というニュースが新聞の一面を飾ったことに始まり、院内感染の多発などの報道が相次いだことだと言われています。最近では結核そのものの増加も、話題となっている多剤耐性菌の増加も、当初言われたようなエイズよりも、結核に対する公的サービスの低下が最も大きな原因であったことが反省として述べられています。結核治療に伴う社会サービスの急速な拡大は、貧富の差の拡大などを無視してきた社会の反省から来ていると行ってもよいと思います。
過剰なサービスは患者を甘やかすとお考えの方もあるでしょう。しかし、アメリカの結核対策は、反面、治療方針に従わない者に対しては非常に厳しい措置を講じています。裁判所の命令による文字通りの強制入院です。
銃を持った警察官が監視できる病室、鍵のかかる病棟も用意されています。 この適応を排菌中の患者だけでなく、治療終了まで拡大するように各地で州法が改正されてきています。患者の人権にも配慮しつつ、患者が適切な治療を受けられるよう最大の努力はするが、それでも従わない者は公衆の敵であるという明確な判断です。患者の人権にも、周囲の人権にも非常にあいまいな日本とは対照的で、結核の撲滅に向けた強い意志を感じることができます。
耐性菌患者も総合病院で
前述のような強制治療の病棟は別として、多くの結核病床はいわゆる総合病院の中にあり、混合病棟であることも多く、廊下もしくは病室単位の感染対策が施されています。多剤耐性結核治療のメッカであるデンバーのナショナル・ジューイシュ・センターでも、結核患者と他の呼吸器・アレルギー疾患の患者の病室が同じ階に混在しています。
結核は、患者にとって病気の一つであることが多く、例えば「がん」治療中の患者にとっては、結核は服薬のみで治癒可能な単純な合併症にしかすぎません。主たる病気の治療の継続という点でも、合併症対策の点でも総合病院での混合病棟の利点は大きいと考えられます。
院内感染は、結核が疑われていない結核患者が感染源になるのであって、いったん結核を疑いさえすれば十分に防止可能であることが強調されています。
アメリカの結核対策から何を学ぶのか
総じてみれば、ほんの少し前まではアメリカの結核対策より日本の結核対策の方が全国的展開という点で優れていたと言えるのです。アメリカでは、結核は日本以上に忘れ去られた病気でした。アメリカの強さは、結核が社会問題であると認識した際の対応の迅速性、特に横並びの改善を待つのではなく、それぞれの地区がよいと思われることを他に先んじて実施していくのだという姿勢にあると思われます。特対事業が地域の特殊性を生かした真の意味での結核対策、患者の治療と接触者の発病予防に活用されていくことを願ってやみません。