名古屋市では、平成10年度と11年度の厚生省結核対策特別促進事業で、治療脱落中断者の調査研究を実施したので報告する。
【目 的】
平成8年度のコホート観察調査の結果、全国の平均治癒率は85.6 %であり、名古屋市は82.9%と下位から5番目であった。 また、治療脱落中断者は、全国で3.9%であるのに対して、名古屋市では5.8%と高いことから、名古屋市の治癒率を低下させている要因として治療脱落中断の影響が大きいと考えられ、 治癒率向上のためには、治療脱落中断を無くすことが大切であると考えた。そこで、再興感染症としての結核の現状調査として治療脱落中断者の状況調査を行い、名古屋市の治癒率向上対策を考えていくことにした。【対象者】
名古屋市の結核新登録患者数は、平成6年から8年の3年間で合計2826名であった。このうち、コ ホート観察調査で治療脱落中断とされた161名について今回の調査を実施した。【方 法】
以下のデータから調査・分析を実施した。
@ 結核登録票―161名分
A 結核コホート調査票―161名分
B 患者アンケート―85名に送付し、36名から返信があり、49名が未返送(うち、転居先不明が10名、死亡が4名)であった。アンケートを送付していない76名の内訳は、住所不定者が40名、 死亡が8名、転居・所在不明が14名、病院・施設入所中が9名、帰国(外国人)が5名であった。
C 医療機関調査票―のべ71医療機関に、患者のべ172名分の調査票を送付し、142名返信があり、30名が未返送であった。【検討対象者の選定】
161名の調査対象者から、肺外結核及び転症となっている者13名、女性28名、中断の定義に該当しない者27名を除いた男性93名について検討・分析を実施した。 この93名の内訳は、定住している者56名、住所不定者37名であった。【結 果】
住所不定者が多く見られたのは、繁華街を抱える千種区、名古屋駅前を抱え、区役所に住所不定者の相談・援護の担当を持つ中村区、 住所不定者のテント住居の場が多い公園を抱える中区並びに土木建築会社の寮を抱える港区や南区であった。
1 .定住者と住所不定者の比較
@発見契機・治療歴・中断歴・既往歴・治療開始時排菌・治療中断後の治療再開・治療効果については、不明を除くと、定住者と住所不定者では差が見られなかった。
A平均年齢は、定住者55.4歳、住所不定者47.8歳であり、住所不定者の方が有意の差をもって若かった。
B学会分類は、住所不定者の方が有意に病型はひどく、両肺への広がりを含め病変も大きく広がっていた。
C初回保健婦訪問保健指導は、不明を除くと、定住者の方が有意に保健指導を多く実施していた。
D平均治療中断時期は、定住者で2.8カ月後、住所不定者で2.0ヵ月後であり、住所不定者の方が有意に早い時期に中断していた。
E治療中断時排菌は、不明を除くと、住所不定者の方がやや菌陽性者が多いと思われた。
F医療機関におけるパンフレットなどによる保健指導は、不明を除くと、住所不定者の方に対して有意に治療医療機関で結核の保健指導が行われていた。
G医療機関側から見た本人の認識状況
患者本人が、病気のことや治療中断について、また経済的不安についてどのように思っているのか、前頁3段目Cの医療機関調査票の中で治療中断者がかつて入院していた医療機関にアンケートをとった。 それぞれ不明を除くと、定住者の方が、医師の指示を守って治そうとしている割合が高い。住所不定者は、認識不足・病識がない、治療中断について悪いことだと分かっている、経済的不安がある、 治療開始時と治療中断時の症状が不変の割合が高かった。2 .『本当の治療中断』?
医療機関からの調査票が返ってきた中では、住所不定者は30名のうち全員が医療機関から見ても中断であったが、 定住者は33名中10名が中断の定義に当てはまりながらも、医療機関は治癒だと認識していた。また、定住者について、登録票の記録から中断時の本人の認識を見ると、確認ができた51名のうち、 治癒であると認識しているのは20名、中断であると認識しているのは31名であった。すなわち、医療機関から治療中断とされていたのは2 3名、患者本人が治療中断と認識していたのは31名であり、そのうち双方から中断と認識されていたのは20名であった。つまり、(定義上中断とされる)定住者の検討対象者56名のうち、 医療機関または本人から治療中断と認識されていたのは34名に過ぎなかった。
この34名について、登録票からさらに詳しく検討すると、治療中断となるグループがいくつかのパターンに分けられた。
@ 医療の面から見て特徴があると思われたケース(12件)―副作用による内服中止、脳梗塞合併で経口摂取不能、アルコール依存症、 痴呆による服薬理解不足、結核の治療方針の問題(菌陽性にもかかわらず外来不規則治療、服薬指導なし)、結核専門ではない医療機関による診断的治療(他疾患の可能性)など。
A 外国籍(4件)―外国籍で結核治療を受ける場合には、無保険で自費治療が多い。帰国予定については、確認はしていない。 また、全く面接をしておらず、情報が何もないケースもあった。
B 若年者(2件)―治療中断後の職場検診で経過観察となっているケースもあった。
C タクシー運転手(5件)―会社の寮に住んでいることが多く、住民票はあるが、アパートに表札もなく定着して居住しないことが多い。
D 性質や職業などの面から見て特徴があると思われたケース(1 1 件)―日雇いやとび職、土建業などの職業が多く、全く面接をしていないケースもあった。また、治療中断後の保健所からのアプローチに対して反応が無いケース、 治療中断しながらも治療を継続したケース、保健所の管理検診を受診して経過を見ていったケースもあった。【考察】
今回の調査は、住所不定者40名、定住者121名の合わせて161名について実施し、住所不定者37名、定住者56名について検討した。 名古屋市の新登録患者のうち住所不定者は、平成9年度では、全新登録患者の15分の1であるが、今回の治療脱落中断者は調査対象者の4分の1、検討対象者の5分の2に及ぶ。 このことからも分かる様に、治療脱落中断者に占める住所不定者の割合は高く、住所不定者の治療脱落中断を阻止すれば名古屋市の治癒率はグンと上がると考えられる。
治療脱落中断者を住所不定者と定住者で比較すると、住所不定者は若く、結核の病状もひどい。早時期に菌陽性のまま治療脱落中断をしており、 結核についての保健指導は医療機関では多く実施されているのに保健所からでは少ない。 また、医療機関への調査によると、住所不定者は、結核治療に対する認識が不足しており、病識もなく、治療脱落中断ということに対しての理解も見られず、経済的不安も高い。
定住者の初回保健婦保健指導状況について、治療脱落中断者と、平成9年度の全国コホート観察調査で調べた治療完了者とを比較すると、 治療脱落中断者に対しての方が、本人または家族への指導の割合が低く、2週間以内の指導についても少ない。また、これらの者は、再治療で空洞を持つ肺病変があり、経済的にも不安があり、治療中断は悪いことだと分かっている。 しかし、治療中断に至っているのはなぜか、別なファクターもあるかもしれないが今回の調査では明らかにならなかった。
平成2年に、『予防可能例』という概念が考えられ、全国各地でケース検討が行われた。これと同じく、『治療中断防止可能例』についても、定義と要因別分類についての概念を確立し、 ケース検討を十分に行い、保健所がどのようなアプローチをしたら中断しなかったか、また、治療中断後の2 カ月以内に治療再開(治療期間の2カ月以内の中断は再治療とは言わず、治療脱落中断者の定義に入らない)させるにはどんな方法でアプローチしたらよいのかを探り、患者管理に役立てる必要がある。1 .治療脱落中断者への対応
〈住所不定者に対して〉
@ 保健所保健婦による初回面接指導を完全実施するべきである。今回の調査後、住所不定者への指導件数は上がってきていると感じているので、これからも心して実施していけばクリアできると思われる。
A 患者本人の治療継続に対する気持ちを盛り上げることが必要である。結核という病気に対する正しい知識を普及し、治療中断の怖さを考えてもらい、治療を最後まで継続して本気で治す気持ちを持ってもらうことが必要である。そのためには、平成1 2年2月から名古屋市が実施しているDOT事業の中のDOT保健婦の役割が注目される。このDOT保健婦は、医療機関の協力を得て、入院中の住所不定者に対して、定期的に訪問面接を実施し、患者に時間をかけて結核の基礎知識から治療について保健指導をする。この方法は医療機関退院後のDOT 実施へ結び付けるのが目的であり、DOT事業の中では直接監視下による服薬と報奨の配付のみが画期的方法として注目されているが、本来は、監視ではなく治療完了を促す患者サービスであり、治療をきちんと継続することを目指している。そこで、DOT 保健婦の定期的保健指導により、治療完了に対する認識を持ってもらえば結核の治癒が望めると考える。〈定住者に対して〉
@ 本人への2週間以内の面接が治療完了には大切である。
A 医療の面からは、これからの結核対策における保健所と医療機関の連携の必要性を感じ、今後は、治療医療機関との症例検討や治療法についての勉強会などを考えていくことが必要であろう。
B 若年者については、その世代にマッチした指導方法(夜間の指導などの工夫)を探る必要性がある。
C 外国籍の患者については、全国的な問題があるが、医療機関での結核患者発見時の行政的支援が必要ではないかと考える。
D タクシー運転手などは、職業面から見て特徴があると思われたケースであり、治療中断となるハイリスクグループと言えるが、治療中断後のフォローについて、中断後2 カ月以内に治療が再開できるようなアプローチの手法を確立していかなければならないと思う。この場合、どうしたら治療が継続できるかと考えると、治療中断した患者を早期(およそ1 カ月以内)に把握して、居所へ訪問等して、看護婦等が直接確認しながら患者に服薬させる名古屋式DOTSを考えてみたらどうか。現在日本で実施されているDOTS の対象者は住所不定者に限っているが、この対象者を住所不定者以外にも拡 大したらどうかという意見も聞かれる。ニューヨークにおいては、DOTS事業が大きな成果を挙げているが、日本はニューヨークと結核の状況も国民性も違うことから、日本式DOTS を確立していくことも必要であると考える。2 .治療中断と治癒
結核の標準的治療期間から見た場合、治療脱落中断と言えるのに、治療医療機関で治癒と診断されているケースが見られることが、今後の検討課題であり、治療開始時の結核の診断の的確性も含め、全国レベルで検討していく必要があると感じた。