世界の結核流行と対策
−その陰と光−結核研究所所長 森 亨
世界的流行とその原因
今さら言うまでもなく、今日結核は人類始まって以来の大流行を見せている。医療技術が進み、わずか10年程度以前の医学書を開けば、結核は「病気との闘いの上での医学の勝利」の典型的な見本だった。例えば1962年出版の「伝染病の生態学」(M. バーネット著、新井浩訳、紀伊国屋書店)にも「、、結局のところ結核追放の前途は明るい。生活水準の向上、平和、そして公衆衛生にたいする熱意がこのまま続くかぎり、西暦2000年までには結核菌は消滅してしまうであろう」とある。ノーベル賞医学者、免疫学の権威が、つい先年かくも楽観的な見通しを抱いていたことは、医学界も含めて(少なくとも先進国の)いかに結核を甘く見ていたか、その雰囲気を象徴している。バーネットがこう書いた後も、結核は確実に増え続け、WHOが、「結核は感染症の中でも今日の世界の成人の最大の死因、世界の公衆衛生活動への重大な挑戦」と発表し、1993年4月「世界緊急事態宣言」を行うまでになったことは周知のとおりである。
数字で見るなら、世界人口57億のうち3分の1、19億人が結核菌の感染を既に受けている(日本では4分の1)と考えられる。この中から、毎年800万人が結核を発病するが(東北県全部の人口に近い)、そのうちの300万人(茨城県または横浜市の人口にほぼ匹敵)が重症で感染力の強い塗抹陽性結核であり、またそれとほぼ同数の人が結核で死亡すると推定されている。他の病気との比較でいうと、成人では、エイズ、マラリア、その他あらゆる熱帯病による死亡者の合計より、結核で死亡した人の方が多く、また同時に約30万人の小児の命をも奪う。しかも結核による成人死亡の大半が50歳以下の生産人口の年齢層で起きており、これは特に途上国の経済を荒廃させ、一家の大黒柱の喪失として家庭や子供に犠牲を強いている。途上国では予防可能な成人死亡の4分の1以上は結核によるものという計算もある。
このような凄惨な流行病の世界の分布は表に示すとおりである。つまり全世界の結核患者発生の95%は途上国(表中の東欧、他の先進国以外の地域)で起きており、死亡については実に99%を占める。しかも現在途上国では結核がますます増加傾向にある。その原因をWHOは以下のように分析している。
- 最近20年間くらいの保健の改善(乳児死亡率の低下など)で増え始めた人口の主要部分が、結核に感受性の強い思春期にさしかかり、結核の発病件数がこの年齢で増えた。
- 結核対策の手段が弱く、また一部考え方が誤っており、かつ政府や援助国の取り組みも弱かった。
- HIV大流行。
陰惨なHIV流行の影響
全世界ではHIV陽性者は1400万人程度と推定されているが、そのうち約560万人は結核にも感染(二重感染)しており、彼らの結核発病率はHIV感染のない場合に比べて数倍から数十倍になる。このためHIV流行地域ではHIV陽性者に結核が吹き溜まりを作ることになり、結核患者の数十%がHIV陽性者・エイズである。表にみるように、アフリカを中心にHIV感染は結核をますます過剰に発生させており、WHOは今世紀末までにHIV感染が生み出す過剰な結核患者は年間140万になると予測する。同時に結核はHIV陽性者の主要な死因であり、世界全体でもHIV陽性者の死亡の3分の1、アフリカでは約40%を占める。アジアのHIV蔓延国のいくつかの地域では、エイズ患者の50〜70%において結核が主要なエイズ合併症(日和見感染症)となっている。
アフリカの国々での結核の上昇率について示した最近の研究成果が図1である。つまり、HIV流行がひどくなり、国の結核対策の水準が低くなるにつれて結核罹患の増加率は高くなり、対策効果はHIVが流行しているところでは薄められる傾向がある。
このような事態は、最近はアジアでもインドの一部やタイ、ミャンマーなどにも確実に広がりつつあり、その余波が日本にも伝わり、国内のHIV感染結核症例の発生に寄与している(ただし、日本の場合、患者の6割は日本人である)。なお、結核研究所ではこのような問題に積極的に取り組むため、米国CDC(疾病管理センター)やタイ国保健省との国際共同研究事業として、昨年からタイ北部のHIV高蔓延地域をフィールドとして、吉山崇医師(国際協力部)を現地に駐在させて研究を行っている。
いまのところ残念ながらHIV/結核の問題に決定的な特別な方策はない。それだけに本来の結核対策を強化することがなおさら緊急課題になるのである。問題の不当な軽視
しかも、各国の政府の結核対策に対する予算は前述のいずれの感染症に対する額よりも小さく、この問題が不当に過小評価されてきたことを物語る。これは途上国の各国政府が自国の結核問題の深刻さを認識せず、ただでさえ乏しい予算を見栄えのする心臓病やがん対策といった分野に当てたり、援助国がそれを助長したりしたことに表われている。
また結核対策の側でも、「戦略的・管理的側面」の重要性に気づくのが遅れたため、対策が十分に浸透せず、また恐らく「ないよりはまし」というような根拠で貧弱な化学療法を続けたために薬剤耐性を広範に作り出してしまった、という問題がある。これは前述の(1)、(3)とも密接に絡まっている。先進国での逆転上昇
一方、結核は既に峠を越えたと信じられてきた多くの先進工業国でも、米国をはじめとして結核流行の停滞ないし逆転上昇が起こっている(図2)。これにはまず途上国からの人口流入(結核の持ち込み)が主な原因となっている。米国では全結核患者の3分の1は国外生まれ、その他の多くの工業国でも半分またはそれ以上の患者が外国生まれである。各国ともこれを自国の固有の結核問題として対応している。日本では今のところたかだか2%で、日本の国際化の程度を示しているが、これもじわじわと上昇中である。
第2の原因はやはりHIV流行で、特に大都会で深刻である。ニューヨークでは結核患者の約50%がHIV陽性、しかもこれと関連して抗結核薬に耐性のある結核の発病が問題になっている。特に1980年代終わりから90年始めにかけて、HIV陽性者を多く収容する病院、刑務所など8施設で多剤薬剤耐性(少なくともヒドラジドおよびリファンピシンに耐性)の結核が大規模に集団発生し、患者の8割が短期間の間に死亡する、という事件が起こった。これは米国での結核の院内感染に対する深刻な反省とその対応のための努力を促すことになった。
しかし、米国ではこの状況の最大の原因は移民やHIV流行よりも、1960年代以降の結核問題・対策の軽視であると考えられている。結核軽視の結果、社会的に恵まれない階層の人々に対する結核サービスがいい加減になり、そのために治療中断やデタラメ治療を許し、薬剤耐性結核の発生、伝播が起こり、後にHIV流行と結びついて先のような状況を作り出したものと考えられる。高揚する結核対策
このように結核は程度の差こそあれ、南北を問わずグローバルに深刻な状況を呈しているが、これに対抗する対策の側にも最近極めて熱いものがある。
まず、米国では逆転上昇が始まって間もない1989年に「米国結核早期根絶戦略」を連邦政府の名前で発表し、西暦2000年までに結核発生を3分の1に、という目標を掲げ、そのための戦略を世に問うた。これが米国の結核対策・研究のブームを作り出したことは間違いなく、図2にあるように結核対策・研究の予算の急増(ひところの100倍という話もある)、研究の活性化が起こり、その成果は身近なところでは菌検査の新技術の開発・実用化となって表われている。もっと地味な患者管理や医療従事者の教育などについても、その努力にはみるべきものがあり、ニューヨークでの以下に述べるDOTSの成功はその好例である(しかし、他山の石とするためにあえて言うならば、米国のこの高揚には「問題が起きるとそこにお金がつくので熱が高まり、人が群がる」ような現金な面が感じられる。現に、先のような努力により結核の発生は減りだしたとして、クリントン政権は結核特別予算の廃止をちらつかしているようである。)世界結核対策本部
しかし途上国の対策を先導するWHOの活躍はさらに目覚ましい。冒頭に述べた「危機宣言」を発表し、各国政府に檄をとばしたのはドクター・コチこと古知新博士の率いる「世界結核対策本部」(GTB)だが、彼がWHOに乗り込んだのが約5年前、当時、あわや取りつぶしかとさえ言われていた「結核対策課」を建て直し、予算・人員の規模で10倍以上の拡大に成功した(本会島尾会長はじめ結核研究所の精神的な支援−彼は同所の国際研修コースの卒業生−と日本政府の財政支援が一部これに与ったことは間違いない。)
そのWHOの最近の目玉商品がDOTS(ドッツ) である。WHOは「結核流行の鎖を断ち切るのは治療であり、治療こそが最善の予防」との認識から、「発見した患者の85%以上を治癒せよ」を至上命令とし、そのための「直接監視下における短期化学療法」つまり、DOTSを究極の解決法として打ち出したのである。これは結核治療にとって最も大切な最初の2ヵ月間は毎日、医療職員からその日の分の薬と水を受け取り職員の前で飲み下す、これによって規則的服薬を確保するというものである。そのため、ある国では患者を入院させ、また別の国では毎日施設に通う。施設があまり遠い場合には、村の保健指導員(ボランティア)などに服薬を監督・証明してもらう。
この方法は、短期化学療法という高価な薬剤の使用と(一部の国の)入院施設の使用ということで従来のWHO政策と相容れず、当初は物議をかもした。しかし、まずアフリカなどの国々で成功を収め、理論的にもこの方が従来方式よりも結局は有利であると証明された。そして世界銀行などの協調も得て、中国やバングラディシュなどに大々的に適用され、いい成績を上げつつある。もちろんこのままの方法が適用しにくい地域もあるのでWHOは「よりよいDOTSを、そしてDOTSを越える方法を」と開発の努力も続けてはいるが、目下は「DOTSでなければ結核治療ではない」と、この方式を精力的に売り込んでいるのである。現在この政策受け入れの状況は、ルーチンに実施段階20ヵ国、試験実施段階23、拡張段階39、受け入れなし28となっている。
WHOや米国の結核対策活動の中で、もう一つ我々が学べきだと筆者がみていることにAdvocacy(アドボカシー)活動がある。この語は従来「普及・啓発」と訳されることが多かったが、実際には「政策決定・推進のための情報活動」くらいの意味にとれ、ロビーやメディア攻勢といった面が強い。WHO/GTBはこのための専門職員を抱えているし、米国CDCの活動も実にあか抜けしている。一連の出版活動はもとより、実は先の「危機宣言」も「世界結核デー(3月24日)」もそうした活動の一部である。結核予防会のような民間団体ならば資金造成という、より具体的な活動も伴っており、この方面の具体的な体制の強化について彼らから学ぶことが多いのではないか。当会よりも募金活動に熱心なオランダの予防会の理事長も「アドボカシーの重要性をドクター・コチから教わった」と述懐していた。世界の中の日本
WHOや世界銀行が結核問題の深刻さや、その対策の対経費効果への認識を深め、アドボカシーに成功するにつれ、結核対策は途上国の援助の目玉になりつつある。そのためNGOや政府開発援助の結核対策への関心はブームを呼ぶに到った。その結果援助プログラムの対象国・地域をめぐって国際競争のような状況すら起り、日本のようなこの分野の老舗も、その内容・成果を厳しく問われている。好むと好まざるとにかかわらず、我々も世界の潮流のまっただ中に立たされているのである。これは結核の疫学的な面についても同様であることは前に見たとおりである。世界的な視野に立った問題の認識・活動が我々のますます大きな課題になりつつある。
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