今、世界の結核は
誰も予想できなかった惨状この地球的規模の結核蔓延を誰が予想できただろう。結核は「病気との闘いの上での医学の勝利」の典型的見本とされ、今から30年ほど前、ノーベル賞に輝く免疫学の権威ですら、西暦2000年までには結核菌は消滅してしまうだろうなどと言っていたのである。その後、結核はどんどん増え続け、結核対策をゆるめた国々を慌てさせた。結核に限らず感染症全般についても、決して楽観的になれないことが分かる。エイズはもとより、日本では今夏のOー157大腸菌で大騒ぎになったことは記憶に新しい。 ドクター・コチこと古知 新博士の活躍WHO「結核対策本部」の部長は日本の古知博士。5年前WHOに乗り込んであわや消滅寸前だった「結核対策課」を建て直し、予算、人員面で十倍以上の規模拡大に成功した。もちろん日本政府の財政支援という後押しもあった。DOTS方式(後述)を広げ、強力に売り込んで成果をあげている。氏と結核対策本部の精力的な動きは世界に注目されている。
日本の結核はどうなっている?(平成6年の数字から)
*年齢の高いほど罹患率も高いが、15歳〜39歳で減り具合が鈍っている 日本にはかつての結核大蔓延時代、つまり若いときに結核に感染(これを既感染と言います)した人が、まだ大勢います。感染はしても発病しない人が多いのですが、一度入った結核菌は胸でそのまま生きつづけ、年をとったりして体力が落ちると、目をさまして活動を始めます。(これを結核の再燃と言います)。日本の高齢者は既感染世代とも言うべきで再燃発病する可能性が高く、新しい患者の半数以上が60歳から上の人です。 結核になりやすい人たちがいます。これをハイリスクグループと言います。前述のように60歳以上の世代もその一つですが、この他
新技術で結核菌を追いかける結核菌やその仲間の抗酸菌は増殖が遅く、検査をするのに十分な量を得るまで培養するのに、かなり時間がかかった。現在はバイオテクノロジーの技術を応用してかなり速く、いろいろなことを調べる方法が開発されている。また、DNAで菌の指紋が分かるが、これを利用すれば、空気感染のため追跡が難しい結核の感染経路をたどることができる。 都会では人間の動きが複雑だから、疫学上かなり面白い結果がでるかもしれない。 結核菌に感染しても全部が発病するわけではありません。発病するのは10人に1人程度、あとは前述のように、そのまま、その人と一生をともにして、機会があれば再燃するのです。結核の症状はまさに風邪と同じで、ついつい油断してしまいますが、咳、痰、熱、だるさが半月以上も続いたら要注意で、ぜひ受診してください。本人・家族はもちろん、複数の医師でさえ分からず、20歳そこそこで死んでしまった若者の例もあるのですから。
結核老人の余病をどうする高齢になると、老化にともなう疾患がいろいろ出てくる。そのため結核が出たからといって、結核の専門だけでは対応できない。循環器科、神経科、皮膚科等々、各科の応援が必要である。そこで、一般病院に結核病室を設ける(もちろん、感染を起こさないよう設備を整えての話だが)ことも検討されている。今でこそ結核は高齢者の病気となりましたが、昔は思春期の病気でした。途上国ではやはり青年子女に多く、大きな問題となっています。同様に結核に弱いのが乳幼児です。赤ちゃんが感染すると、髄膜炎や粟粒結核のような、生命にかかわる状態になることが多いのです。しかも診断が難しく、治っても後遺症が残ることがよくあります。 BCG接種をしておけば、このような危険な状態になるのを防げることは、世界でも認められています。
目の前で服薬を確認・・・DOTSという方法途上国の結核対策で短期化学療法を採用するにあたっての問題は、患者に高価な薬をどうしたら確実にのませられるか、である。薬をのんでしばらくすると、症状が消える。消えると薬を止めてしまう。本人が治らないだけでなく、これでは耐性菌を作っているようなもので、何もしないよりかえって悪い。そこでWHOが考案したのが、DOTSという方法である。つまり、最初の2カ月間は毎日、診療所へ患者を呼ぶか、職員がその家へ出かけて行って、目の前で薬をのむのを確認するのだ。これが非常に成功している。日本では大部分の患者が、最初のうちは入院しているので必要なさそうだが、都会の吹き溜まりにいる患者には必要かも知れない。(Directly Observed Treatment Short Course直接監視下短期化学療法) 結核菌は15、6時間に1回分裂するくらい悠然とした菌のせいか、結核という病気も慢性病の代名詞でした。感染後何十年もたって再燃することも、よくあります。これだけ対策に人と資力を使っても、結核は思うようには減ってくれません。もう大丈夫だろうと米国のように手を抜いて、都市の吹き溜まりにいる人たちに結核が蔓延したように、手痛いしっぺ返しを食います。その上エイズという新たな援軍まで出てきました。結核対策の真骨頂はこれからです。今こそ「制圧難病=結核」の最低の常識を身につけていただくようお願いいたします。 日本の結核菌は、いつ、どこから来たのか?青森県の三内丸山遺跡の発掘によって、日本の縄文時代が根本的に見直されている。この縄文時代にはどうやら結核はなかったようだ。では日本にいつ、どこから結核菌がきたのだろうか。東京都老人総合研究所鈴木隆雄氏は古病理学・骨学の研究者だが、氏の研究によると、弥生時代から古墳時代にかけて、大陸からたくさん渡来人がやってきたが、同時に結核菌をももってきたため、免疫をもたない土着の縄文人に結核が広がったという。この鈴木説は学会でも注目されている。
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