病院内結核集団発生の実情と対策

結核予防会会長   青木 正和

わが国の結核集団感染事例

表1
 昭和40年に発生した新宿日赤産院の未熟児を中心とする結核集団発生事件が、わが国で最初の事例であるが、それから今日まで30年間に 15件の院内感染事例が報告されている(表1)。ここに掲げたのは、学会誌や研究会に報告され、あるいは新聞に報道された事例のみであり、 20人以上の被感染者(発病者1人は6人の感染と数える)がみられた事例のみである。このほかに、中耳結核の多発など、いわゆる接種結核事件 が5件ほうこくされているが、起こり方が全く違うのでここには含めていない。
 このほか、未報告例や隠されている例、1、2人だけの発病例や19人以下の感染例、あるいは集団感染の可能性を考えて対応したが、幸い発病者、 感染者がなかった例などを含めると、わが国では毎年、随分多くの病院で結核集団感染対策が行われていると考えられる。

院内感染事例の特徴

表2
 これらの事例をみると、わが国の院内感染事例にはいくつかの特徴があることが分かる。表2にまとめたとおりである。
 この30年間に起こった15件のうち、10件が85年以降、つまり最近10年間に起きていることがまず注目される。なぜ最近になって事件の発生が 多いかを考察すると、今後も当分の間、増えることがあっても減らないのではないかと考えられる。
 高校など学校での結核集団発生事例をみると、感染源と疑われる患者が先に発見され、接触者の検診を行った事例が大部分である。 これに比べると、病院での集団感染は「患者の多発」が先の事例が多いことが目立つ。
 また、結核病院での発生より、一般病院での発生が多いこと、特に精神病院での発生が多いことが目立つ。結核の感染は多くの場合、 診断確定前に起きる。このため一般病院での発生が多いのである。
 最近、いくつかの県で医療従事者の結核発生の実情が調査されているが、看護婦の発病率は同年齢の一般女性に比べると2倍から3倍高いという。 注意を要する問題である。
 病院内の結核集団感染が一度起こると、関係者の苦労は大変なものである。何とかして発生を防ぎたいものである。

院内感染増加の要因

表3
 なぜ、結核が少なくなった今になって、院内感染が増えるのか、不思議に思われるかもしれない。しかし、表3に示したように、 院内感染が増える理由が最近になってそろってきているのである。
 まず第一に、若い人達の大部分が今では結核未感染である。結核が多かった昭和30年以前には、医師、看護婦などの多くは結核既感染だったので、 仮に結核菌を吸い込んでも感染を受けることはまずなかった。これに対し、今では20歳では97%、30歳で94%、40歳になっても85%は結核未感染である。 BCG接種が広く行われ、結核の感染状況が自分では分からなくなってきているが、今、病院で働いている人の90%以上は未感染で、 結核菌を吸い込めば感染すると考えていたほうがよい。
 結核を忘れ、油断していることも集団感染を増やす大きな要因の一つである。患者は咳や痰が出てもなかなか受診せず、病院を受診しても 診断に時間がかかることもある。結局、大量の菌を排出している患者を診ることが少ないのである。
 もう一つ忘れてはならないことは、病院の建物が近代化したことである。昔のように、木造ですきま風が吹きぬける建物なら、 結核菌も速やかに拡散してしまう。ところが今では、ほとんどすべての病院が冷暖房の完備した近代的建物になっている。これで、各部屋、 各部門の換気が十分に行われていればよいが、換気、特に再循環を避けた換気には大変な費用がかかる。 フィルターをつければ、この費用も決して少額ではない。従って、排菌患者が咳をして結核菌を散布すると長い時間部屋の中で浮遊することになる。
 その上、気管支鏡検査、挿管、ネブライザーなど、患者の咳をうながす処置が以前に比べると非常に増えている。 こういう処置を行う部屋の換気だけでも別にし、空気を外に出せれば随分違うと思うが、緊急な処置を必要とし、病院で吸引その他の処置を行わねばならないこともある。
 また、最近は一部の病院に結核患者が集中する傾向があるが、これらの優れた結核病院では入院期間が短くなってきている。 排菌患者が次々と入院し、入院期間が短いということは、建物内の空気の結核菌の密度が高いということである。建物が近代化し、 換気が十分でない一部の優れた結核病院では今後注意が必要と言わざるを得ない。

外国の事例

 紙数の都合上、ここでは紹介できないが、院内感染事例の報告は欧米からも少なくない。なぜ多数の人々が感染したか新しく分析されている 報告も多く、非常に参考になる。
 特に、気管支鏡検査室での感染、救急部で呼吸補助を行って多数が感染した例、あるいは結核性膿瘍の洗浄、灌流の時に飛散したエロゾル による感染例など、特殊な条件下での集団感染例の報告は、どういう時に結核感染が起こるかの理解を助けてくれる。病院という特別の環境では、 普通考えられない状況で、短時間に多数が感染することもあるのである。
 1988〜91年の4年間に米国で多剤耐性結核菌による院内感染事件が多発したことはよく知られている。ニューヨークだけで11病院で 同じ多剤耐性株によって病院内の集団感染が起こり、178例が発病した。この80%以上はメディアン66日という単時日のうちに死亡している。 この事件を契機に、米国では院内感染防止の諸施策が進められ、この恐るべき事件を数年で終息させたのだった。
 現在、われわれが理解している院内感染防止策の体系は、この事件の経験の上に作り上げられたものであると言ってもよいほどである。
 

病院内結核感染防止策

表4
 病院内感染を防ぐには、表4に示したように、「結核患者の早期発見と強力な短期療法」が最も大切である。結核は感染症であり、 その基本に立った対策を進めなければならない。
 ただ残念なことに、「これだけをきちんと実施しておけば院内感染は防げる」という簡単な方法はない。 表4に示した多くの事項を一応全部実施していても、結核の院内感染を100%防げると言い切れない。
 また一方、たとえば喀痰塗抹検査で結核菌養成の患者が咳をしていても、必ずしも周りの人々が感染するわけではない、ということも 知っていてよい。オランダでの研究によれば、塗抹陽性の患者のうち集団感染の感染源となって多くの人々に結核をうつしたのは、 100人のうち2人くらいだったと言われている。結核感染を不必要に過大に恐れることなく、油断せず、基本的な原則を守って対応することが大切である。
 これらの中でも、喀痰塗抹陽性の患者の診断が遅れないようにすることが最も大切であるが、これには「咳を訴えている患者」では喀痰塗抹 検査を行うことをルーチンの検査としておくのがよい。また、もし陽性だったら、主治医や病棟婦長などの関係者に速やかに通報することも 極めて大切である。
 結核菌が塗抹陽性の患者は、もちろん隔離しなければならない。咳をするときには、たたんだタオルで大きく口をおおい、飛沫が飛び散らないようにすることをよく教えておく。 吸入療法や採痰、痰の吸入などは原則として大部屋では行わないようにする。
 部屋の換気を強力に行えば伝染防止に非常に有効である。しかし、冷暖房の熱効率から言えば、無暗に換気することもできない。 結核患者を扱う病院では、結核病室の換気は看護婦室などと別にしなければならない。
 結核菌は紫外線には非常に弱いので、紫外線照射が有効という報告が米国から多い。しかし、実際に病室で使った場合の有効性については、 まだ十分でないようである。
 米国では、多剤耐性結核菌の感染を防ぐために、HEPAマスクの着用を勧めている。しかし、このマスクを実際に着用してみると、 やや苦しく、その上、会話に不便である。高価なことも問題になろう。看護婦など医療従事者側が普通のマスクを着用しても感染防止には役立たない。 これに対し、患者にマスクを着用させることはある程度有効である。
 これらの方策を全部行ったとしても、絶対に安全とは言えない。このため、病院職員の普段健康管理をきちんと行うことが必要である。 看護婦の採用時のツベルクリン反応検査、必要に応じて米国が進めている二段階検査、感染の恐れがある場合の適時適切な対応などである。 これらについては結核病学会予防委員会が指針を出しているので、これを参考にするとよい。

おわりに

 結核が蔓延していたころには、20歳以上の人々は大部分が結核既感染だったので、結核が感染症であるという実感はなかなか持てなかった。 しかし今では、病院職員でも一般の患者でも、40歳以下なら大部分が結核未感染と考えてよい。このため、結核は感染症としての様相を強めてきているのである。
 病院内の感染防止は、今後ますます重要になる問題である。過大に恐れず、適切で賢明な対応を進めることが望まれる。

Updated 00/07/13