研究要旨 本分担課題では1994年以降、日本国内で発生するHIV感染結核および非結核性抗酸菌症の症例の発生状況やその臨床情報の蓄積・検討を継続した。全国の主要結核診療施設の臨床専門家16名から、自施設あるいは関連施設の当該症例の情報を一定の様式で収集し、解析・検討するものである。このようにして1999年12月末日までに結核131例、非結核性抗酸菌症50例の情報が収集された。昨年同期に比して52%増である。報告施設の所在地は東京・関東地方が全体の86%で大半を占める。患者の国籍は72%が日本、残りが外国であった。従来非結核性抗酸菌症例はすべて日本人であったが、今回は若干の外国人症例が確認された。結核症例の年齢分布は、一般の日本の結核患者に比して若く、また全HIV感染者集団よりも高齢に偏っており、また日本人よりも外国人で若い。全体の89%までが男であるが、外国人では比較的女に割合が大きい(95%対75%)。
結核症例の73%でHIV感染よりも結核が先に、ないし両者同時に診断されていた。非結核性抗酸菌症ではHIV感染が先により多く発見されていた。結核症例の59%に肺外病変(16%が全身播種)が認められ、また結核症例のツベルクリン反応陽性は22%のみ、CD4+細胞数100/mm3以上が23%のみ、と免疫不全の進んだ状態にあることが知られた。
このように収集された患者はかなり進展したAIDS症例であり、軽症例が見落とされている可能性が依然として大きい。このように結核診療およびHIV感染者の医療のうえで結核/HIV問題に今後さらに注意を払う必要性がある。さらにこのような症例の増加につれて、その予防、治療、患者管理について日本の結核対策体系の中でそのあり方をより具体的に検討すべき時期に来ている。
研究目的
世界の多くの地域でHIV感染の新たな発生がピークを過ぎたと報ぜられているのと対照的に、日本ではHIV感染に歯止めがかかったという兆候は見られていない。HIV感染合併の抗酸菌症(結核、非結核性抗酸菌症)はHIVの重要な日和見感染症であり、その発生や臨床像の動向の観察は、エイズおよび結核の対策や診療の分野において大きな意義をもっている。HIV感染者とりわけエイズ患者はこれら疾患の重要なリスク集団である。米国ではこのような人々の間で結核が大発生し、その少なからぬ部分が多剤耐性結核であったことも問題を深刻にした。またサハラ砂漠以南のアフリカではHIV陽性者/エイズ患者の結核が一般人口の結核を増幅する役割を果たしている。またアフリカでは結核患者の主要な直接死亡原因がエイズであり、エイズ患者のそれが結核である。
日本は米国よりは結核ははるかに高蔓延状態であり、またアフリカ等よりははるかに低蔓延状態にある。さらに結核患者の医学的・社会経済的背景、さらに対策もかなり異なっている。したがってHIV感染と結核の関連は、詳細に記載され、報告されているこれら2地域のものとはちがう独自の性格をもっているものと予測される。
本研究はこのような立場から、日本におけるHIV感染非結核性抗酸菌症の動向と臨床像を継続的に調査し、HIV/エイズおよび結核の対策や診療に裨益することを目的とするものである。
研究方法
全国主要結核診療施設の結核臨床専門家16名(研究協力者)よりHIV陽性の抗酸菌症の自験例ないし入手可能な他験例(同僚などの施設の症例)の、疫学的臨床的知見の情報を一定の様式で収集した。事務局でこれを整理し集計解析を行った。かなりの症例についてはX線フィルムも収集することができた。本年度は2回にわたり研究班会議において、より詳細な個別の症例検討をいくつかの症例に関して開いた。
結 果
1994年以来1999年12月末日までにこのようにして集められた症例は総数181例となった。学会誌等に症例報告が既に症例報告等がなされているものもあるが、大半は当研究班の組織によって系統的な情報が収集されたものである。181例中131例が結核、50例が結核性抗酸菌症であった。これらの症例の分析結果は以下の通りである。
1)症例の報告動向
1999年12月までに報告された症例は結核131例、非結核性抗酸菌症50例となった。結核、非結核性抗酸菌を発病した時期は表1の通りで、1997年までほぼ年々増加している。1998年以降収集された症例は減少しているが、これまでの収集でもこの程度の報告の遅れが見られていることから、実際の発生件数が減少していると考えられない。
報告をえた施設の所在地は、結核は東京が68例(52%)、東京を除く関東が結核45例(34%)、近畿8例(6%)、北海道5例(4%)、九州3例(2%)、中部2例(2%)となっており、1999年8月現在でのHIV陽性者の地域割合は東京を含む関東で76%なので、抗酸菌症合併エイズ患者での関東の割合はそれよりもやや高く、それ以外の地域ではHIV陽性者の割合よりも低くなっている。関東圏の結核罹患率は全国平均よりやや低いので、本調査で見られる関東・東京優位は研究参加施設の偏りによるものの可能性を考えなければならない。非結核性抗酸菌症も東京、関東に多い結果となっている。
表1.抗酸菌症発病の時期 図1.年次別に見た報告件数 表2.報告医療機関の所在地
2)症例の基本的背景
@ 国籍:日本が結核85例(65%)、非結核性抗酸菌45例(90%)で全体の72%を占める。外国のうち、結核ではアジアで24%、アフリカ7%、中南米4%となっている。
表3.患者の国籍
A 年齢・性:年齢分布は表4の通りであった。日本人結核は40-50歳代に多いが、結核症例は既報のように一般結核患者の平均より若く、一般エイズ患者集団よりは高齢に偏る。一方、外国籍の結核患者は20-30歳代に多く、結核(日本における外国人結核)、エイズのいずれも多い世代に一致する。また男女比は日本人の場合結核、非結核性抗酸菌とも90%以上が男性である。以上の傾向は1994年までに診断された症例と1995年以降診断された症例との間で違いが見られない。
表4.性・年齢階級分布 図2.国籍・病類別に見た年齢分布
3)臨床的要因
@ 結核・HIV感染の診断の順序:結核が発症する前にHIV陽性の診断がついていた症例数は、1994年までの39例中8例、1995年以降では90例中19例といずれも21%前後で全く変化がなく、臨床的になんらの問題も気づかれないときにHIV陽性を診断されていない症例がどの時期も8割を占めている。
表5.肺外病変合併の有無 表6.菌所見・診断方法 表7.ツベルクリン反応検査成績 表8.菌所見別に見た血中CD4細胞数の分布 A 病状:肺外病変(全身播種を含む)の合併の有無は表5の通りで、結核では77例(59%)で肺外病変を合併しており、このうち37例で全身播種性病変を合併していた。1994年までの症例では39例中17例で肺外病変を合併しており、また6例(6/39=16%)で全身播種性病変をもっていた。1995年以降は90例中58例で肺外病変を合併、30例(30/90=33%)で全身播種性病変を合併していたが、両期の間で増加傾向が見られるが、この差は統計学的に有意ではない(χ二乗検定、p=0.06)。非結核性抗酸菌症でも32例(64%)が肺外病変を合併しておりそのほとんど(31例)が全身播種であった。
B 診断方法:表6にみるように、結核患者のうち87例(66%)は塗抹陽性、23例(18%)は塗抹陰性培養陽性、4例(3%)は塗抹陰性PCR陽性で、3例(2%)は病理所見によって結核と診断されていた。細菌学に診断された者のうち塗抹陽性者の割合は、診断年次が1990年〜1994年の例では36例中26例(72%)、1995年以降は76例中60例(79%)でその割合に大きな変化はない。
C 抗酸菌症とHIV感染の発見の前後関係:両者のいずれが先に診断されたかをみると、結核では49例(37%)において結核が先(これに「同時」47例を加えれば73%)に診断されており、HIV感染が先に気づかれていてその後結核を発病した者は21%に過ぎない。非結核性抗酸菌症では結核に比してHIV感染診断が先に発見されている例が多い(30/50=60.0%)、抗酸菌症診断が先行した者は5/50=10.0%%のみ)。
D ツベルクリン反応:ツベルクリン反応検査は結核患者131名中55名に行われており、12名(22%)が陽性、43名(78%)が陰性であった。非結核性抗酸菌症では結果が知られた12名中行われていた12名全員が陰性であった。1994年までの発見例中ツベルクリン反応結果が知られた16例中14例(88%)が陰性であったのに対して、1995年以降の例では39例中29例(74%)が陰性と、陽性の者が増加する傾向が見られた。
E CD4+リンパ球数:発病時の血中CD4+細胞数のレベルは結核131例中34例(26%)で10/mm3未満、46例(35%)で10-49、21例(16%)で50-99と77%で100/mm3以下であった(表8)。49/mm3以下であった者の割合は、1994年まででは26/39=67%、1995年以降は52/90=58%とやや減る傾向にあった。また、結核症例について菌検査成績とCD4+細胞数の関連をみると、CD4+細胞数が100/mm3未満の者のうち塗抹陽性の割合は61/101(60%)であったが、CD4+細胞数が100/mm3以上の者では26/30(87%)と有意に高くなっていた(χ2=7.16、P<0.05)。
図3.血中CD4+細胞数の分布 表9.CD4+細胞数と空洞の有無の関係 表10.菌所見別に見た空洞の有無 表11.縦隔リンパ節腫脹の有無 F X線所見:X線所見については、結核131例中所見の記入があった者が122例でうち空洞を有する者が32例(26%)、非空洞例が79例(65%)、所見無しが11例(9%)であった。病変の広がりの記載があった者は100例あったが、「一側肺以上」の者が47例(47%)、それ未満の者が53例(53%)であった。表9のようにCD4+細胞数が100/mm3未満の免疫抑制が強い症例での有空洞率は21/92=23%、一方、100/mm3以上では11/30=37%であり、後者でやや高いが非有意であった(χ2=2.2、P>0.05)。塗抹陽性結核例の有空洞率は27/85=32%であり、その他の結核例では5/37=14%であり、当然ながら前者で有意に高い(χ2=4.44、P<0.05)。またX線フィルムを入手できた69例(うち結核59例)について縦隔リンパ節腫脹の有無を検討したところ、結核症例59例中16例(27%)で縦隔リンパ節の腫脹を認め、CD4+細胞数が少ないほど縦隔リンパ節腫脹となっている者の割合が高い傾向にあった。
G 結核菌薬剤感受性所見:この所見については131例中74例で判明しており、19例(26%)で何らかの薬剤に耐性があった。そのうちINHに耐性があった者は11例、RFPに耐性のあった者が7例、INHとRFPへの両剤耐性(多剤耐性)は5例(7%)であった。また、131例中6例が再治療であったがそれを除いた者、つまり初回治療例に限定して薬剤感受性をみると、結果判明している70例中INH耐性は9例(13%)、RFP耐性は6例(9%)、多剤耐性は4例(6%)であった。
H 結核治療の既往:結核症例について結核治療歴が知られた者は100人であり、そのうち6%のみ(6%)に既往の結核治療があった。
4)HIV感染経路
HIV感染の経路は、異性間性交渉が結核患者131例中63例(48%)、同性間性交渉は23例(18%)、両性間性交渉が9例(7%)であり、以下血液製剤5例、薬物乱用4例、不明27例となっていた。非結核性抗酸菌症例では同性間性交渉(38%)、血液製剤輸血(20%)が比較的多い。結核症例について日本人と外国人を比較すると、外国人では明らかに異性間性交渉が多く、またとくに女性で多いことが知られる。
表12.国籍・性別に見た感染経路 5)転帰
患者の転帰については、発症から報告の時点までしか知られていないが、それでも知られた163例中61例(37%)が死亡していた。結核では死亡率は34/114=29.8%、非結核性抗酸菌症では27/49=55.1%で明らかに後者で予後(短期予後)は不良である。主要死因は他のエイズ関連疾患やエイズ脳症であって、結核そのものは少ない。
考 察
まず本研究による日本におけるHIV感染抗酸菌症例の把握の方法について総括すると、これは「任意報告制度」であり、したがって全国の結核/HIV患者の発生を積極的にすべて捕捉していないことは明らかである。ただし、班員の構成と分布から見て、医療とくに結核治療の対象となった症例についてはその相当部分を把握しているとは考えられる。厚生省「HIV感染症情報」によれば、1999年12月現在の累積エイズ患者数は1,576人である(凝固因子製剤による者を除く)。一方、「HIV感染者発症予防・治療に関する研究班」による日本のエイズ患者の結核合併の頻度は10%程度であるので、これから、HIV感染結核患者数は160人程度と推定できる。我々の観察症例数131はこの程度に過小評価であるが、しかし年々推定と把握の乖離は小さくなっており、把握の向上が感じられる。
ただし、我々の症例の大半が重症例であり、同時に結核の診断がHIV感染発見のきっかけとなっている例が多いことから、軽症例を中心に相当の未診断例であり、しかもそのような人々はHIV感染やエイズとしての診断も遅滞していることを示唆している。
なお、本研究班協力者は結核専門施設の医師であるために、必ずしも結核施設に入院・受診する必要のない非結核性抗酸菌症症例は把握がごくわずかであり、また症例も偏っている(例.結核との鑑別の必要な例など)可能性がある。1.結核/HIV患者の臨床像
早くから岩崎が指摘していたように、HIV感染結核の病像は、HIV感染病態の進行程度(HIV感染による免疫抑制の程度)と他の結核発病関連因子の強さ(感染からの期間、年齢、遺伝素因、他の合併症など)との関連によって様々な表現をとりうる。したがってHIV感染者に見られる結核は未感染者に見る一般の結核に比してその病像は、単に重篤であるということではなく、多彩かつ非定型的な所見が多いと考えられる。実際には、我々の症例では肺外臓器(全身播種型−粟粒結核−を含む)が多く、また肺野に目に見える病変を持たない極めてHIV感染者に特異的な臨床像の症例も少なくない。これはこの問題が世界的に注目されるようになった初期から指摘されている、いわば「典型的なHIV感染の結核所見」といえるものである。逆に言えば、通常の結核所見をもった症例(HIV感染病態の進んでいないもの)が見落とされていることが考えられるのである。
2.結核/HIV患者の予後
エイズ合併結核は化学療法にはきわめてよく反応することが世界的に示されており、これは我々の行ったいくつかの症例の仔細な検討からも支持される。しかし結果的に患者の生命予後はきわめて厳しく、他のエイズ関連疾患、脳症などで概ね1年以内の観察期間のうちに30%が死亡している。これまでHIV感染が結核発病を促進するほか、結核発病がHIV感染病態を進行させると言われてきたが、結核治療によく反応する患者のその後のあまりにも不良な経過は、このような強力な治療がエイズの病的過程を修飾することすら想像させ、今後の研究課題としたい。3.非結核性抗酸菌症
非結核性抗酸菌症例ではMAC症が圧倒的に多く、次いで多い菌種がM. kansasii(24%)である。この割合は一般の非結核性抗酸菌症の場合と同様である。エイズ症のような極端な免疫障害の場合の菌株の分布が免疫の障害の程度が非常に異なる一般患者のそれとあまり違わないと言うことはむしろ興味深いことというべきかも知れない。4.日本での今後の課題
結核はHIV感染疾患のうち唯一他に感染する病気であり、それの早期の発見には患者本人の利益を離れて特別の意義がある。また結核は日本では欧米に比して数倍の蔓延水準にあり、したがってHIV感染が広がった場合の結核に対する影響は欧米よりはそれだけ直接的にでるものと考えられる。本研究はそのような事態が確実に現実のものとなりつつあることを示している。
日本でのこの問題の研究への課題としては以下のような点を上げることができる。
@ 症例の発生状況の正確な記述。この問題の医学、公衆衛生上の大きさを把握するために基本的な意義がある。本研究ではこれまでもっぱらこれに集中してきて一定の成果を挙げることができた。
A HIV陽性者における結核発病予防の可能性。米国などでは化学予防が広範に行われているが、日本ではほとんど行われていない。BCG接種の普及した日本でこれを行うことの意義を検討し、その方法を策定することは重要である。
B 化学療法のあり方、とくにHIV感染への化学療法との関連。HIV合併結核においては一般の結核と比して化学療法の作用機序が同一なのか、異なるとすればどのように異なるのか。HIV治療との適正な調整といったものが考えられるのか否か。
C 化学療法終了後の予後、再発の可能性。課題Bとも関連するが、長期的に見た治療効果の評価を再発や再感染発病なども含めて検討し、トータルな患者管理のあり方を模索する。エイズ患者やHIV感染者の生存率が改善しつつある現在、このような研究はますます必要になっている。
D HIV感染病態と結核病理との相互関連。上記A〜Cの基礎的な側面の統一的な理解のために分子レベルでの実験的な研究が必要である。
結 論
日本でのHIV感染の増加傾向にあわせて、抗酸菌症とくに結核合併例は着実に増加しつつある。1995年以降もそれ以前と比してエイズ合併結核患者発見時にHIV陽性自覚例の割合が不変である事からもわかるように、日本のHIV陽性者の早期発見については進歩が見られていない。同様にエイズ合併結核症の、発症時の免疫状況については1994年までの症例とそれ以後の症例とでは変化がない。画像診断上、非空洞例でも塗抹陽性が多いなど、以前からわかっているように診断上の困難さはあるが、重症症例での発見が多く、軽症症例が見落とされている可能性も以前と変化が見られない。このような問題について今後HIV感染者の診療、結核患者の診療のなかでさらに細心の注意を払う必要がある。
参考文献
1) 厚生省保健医療局結核感染症課監修:結核の統計1999.結核予防会, 1999
2) 厚生省保健医療局疾病対策課:HIV感染者情報平成11年11月1日〜12月26日出典:「厚生科学研究費補助金エイズ対策研究事業 HIV感染症に関する臨床研究(主任研究者 木村 哲) 平成11年度研究報告書」
分担研究者及び、研究協力者 森 亨(結核予防会結核研究所) 岸 不盡彌(北海道社会保険中央病院内科) 斉藤 武文(国療晴嵐荘病院内科) 坂谷 光則(国療近畿中央病院) 佐々木結花(国療千葉東病院) 重藤えり子(国療広島病院第二呼吸器科) 健山 正男(琉球大学医学部第一内科) 田野 正夫(国療東名古屋病院呼吸器科) 豊田恵美子(国立国際医療センター呼吸器科) 豊田 丈夫(国療東埼玉病院呼吸器) 中田 光(東京大学付属医科学研究所) 永井 英明(国療東京病院呼吸器科) 藤田 明(都立府中病院呼吸器科) 藤野 忠彦(国療神奈川病院) 吉山 崇(結核予防会結核研究所疫学研究部疫学科) 和田 雅子(結核予防会結核研究所疫学研究部)