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はじめに
23カ国、総人口約44億人を対象とする東地中海地域では、現在急激な勢いで結核対策の改善が進ん
でいます。世界保健機関が定めた結核対策の目標(注1)の達成を促進するため、同地域の最高議決機
関である地域協議会(注2)は昨年の総会で、「西暦2000年までに地域内の国のすべての場所でD
OTSを実施する」との決議を採択しました。「すべての場所で」という意昧の英語 "ALL OVER" を用
いて、この決議は通称 "DOTS ALL OVER" と呼ばれ、東地中海地域の結核対策の標語となっています。
世界保健機関の6つの地域のうち、この様な決議を行ったのは東地中海地域だけです。
この "DOTS ALL OVER" 決議実現のため、東地中海地域内では様々な活動が続けられています。それ
には関係者の研修、各国への技術支援、教材・ガイドブック等の出版、啓蒙活動、関連医療・保健機関
との調整等が含まれます。我々も多くの国を訪問し、技術協力を行ってきました。今回は、その経験を
踏まえながら、結核対策の推進には何が必要なのかを考えてみます。
注1 西暦2000年までに、存在するであろうと推定される患者の7割を発見し、その85%以上を
治癒すること
注2 対象23カ国の厚生大臣等が参加して開かれる最高議決機関
DOTSの現状
表1 |
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表1は、東地中海地域内23カ国のDOTSの実施状況を示したものです。国のすべての地域でDOT
Sが行われていればDOTSカバー率は100%で、国の半分の地域で行われていればカバー率は50
%です。現在、バーレーン、キプロス、ジブチ、ヨルダン、モロッコ、オマーン、カタールの7カ国が
"DOTS ALL OVER" を達成しています。そのあと、クウェート、スーダン、イエメン、シリアが続きま
す。ソマリアは内戦下で健闘しており、エジプト、イランはDOTSを急激に拡大中です。イラク、レ
バノン、パキスタン、チュニジアはDOTSのモデル地域を始めました。現在、DOTS未実施なのは
アフガニスタン、リビア、パレスチナ、アラブ首長国連邦の4カ国だけです。
表2 |
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表2は、DOTS実施地域の成績を5カ国で見たものです。治療開始2ヵ月後の塗抹検査での菌陰転
化率及び最終的な治療成功率は、世界保健機関が目標とする85%を優に超えています。表に示してい
ない他のDOTS実施地域でもほぼ同様の良い結果が出ています。
これは大変な成果です。筆者が地域事務局に赴任した4年前は、DOTSを実施していたのはモロッ
コ全土と、ソマリア、イエメンの一部だけでした。多くの国では治癒率は非常に低く、例えばDOTS
実施以前のシリアやエジプトでは6割未満でした。この大変革をもたらした原因について、結核対策の
技術的視点、実行機関である国としての視点、そして技術支援をしてきた世界保健機関の一員としての
私個人の視点から見てみます。
結核対策の技術的視点
技術的には結核対策の基本は簡単なんだ、ということを示したのがDOTSです。感染性の患者を塗
抹検査で発見し、正確な治療を患者の服薬を確認しながら行い、その経過を正確に記録・報告し、これ
らの活動をきちんと監督する、それだけです。すなわち、結核対策は技術的な問題というより、管理(
マネージメント)の問題となります。基本をいかに現場で応用・実行すれば良いかを考えればいいので
すから、国の結核対策課長の視野は明るくなります。技術が未確立の疾病対策を実行する困難さ(暗中
模索に近い)を想像してみて下さい。
結核対策推進の背景 −国レベルの視点から−
このように技術的にある程度確立した疾病対策にとっては、対策の成功の可否は、対策の実行責任者
となる国の結核対策課長の能力と、それを支援する政府・厚生省の取り組み方(コミットメント)の2
点に左右されます。その例を挙げます。
シリアの対策課長は頑固な猪突猛進型の有能な女性です。やると決めたら必ず実行します。保守的な
関係者の反対に屈せずDOTSのモデル地域を開始し、その成功を基に現在は国の半分までDOTSを
広げています。彼女の能力と成果を高く評価する厚生大臣は彼女を全面的に支援しています。サウジア
ラビアは豊かな国です。人材、予算は絶えず豊富です。しかし厚生省は結核対策を重視しておらず、結
核対策課長(先代)もDOTS実施には前向きではなく、有効な結核対策ではありませんでした。とこ
ろが現在の課長は非常に精力的で、モデル地域の設定、関係者の研修を行い、1998年7月に全国の4割でDOTS
を開始しました。ソマリアは内戦下で無政府状態ですが、実質的な厚生省である世界保健機関の監視下
で、関係機関(非政府機関がほとんど)はDOTSを厳格に実行し、9割近い治療成功率をあげていま
す。イラクも長期間の経済状況の悪化で結核対策は崩壊しています。薬剤不足は日常茶飯事です。その
中で少ない援助(結核研究所からの貴重な援助を含む)を有効に利用し、結核対策課長はDOTSのモ
デル地域を1998年4月から開始しました。パキスタンは我々の頭痛の種です。東地中海地域の4割強の患
者を抱え高蔓延国ですが、政府・対策課長とも本気で結核対策を行っていません。我々も様々な形で関
与してきましたが、決定的な成果はまだまだで、暗中模索の状態です。
我々が学んだのは、有能な結核対策課長の存在、すなわちリーダーシップの重要性です。1人の課長
が国の結核対策を根本的に変えたという事例は本当に多くあります。それを政府が支援し、必要な人的
・予算的援助を行えばDOTSの成功は確実となります。この2点があれば、その国の貧富は基本的に
は問題ではありません。DOTSプロジェクトが成功すれば予算は国あるいは援助側から付いてきます
。逆を考えてください。成功しないプロジェクトに予算をつける厚生大臣や援助機関は基本的にはいま
せん。
表3 |
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世界保健機関の一員としての視点
この "DOTS ALL OVER" の実行過程で、私は様々なことを考えさせられ、学びました。現在の結論は以
下の通りです。
私にとって仕事上最も重要な人は、各国の結核対策課長です。彼らとの関係において3つ重要なこと
があります。第1は私の技術的な能力です。「結核対策」の技術的基本を彼らに明確・簡潔に説明でき
なければなりません。第2は私の未来像(ビジョン)です。この「結核対策」をいかに実現し、その国の
結核対策がどこに行くべきかを彼らに説明できなければなりません。第3は人間的な付き合いです。こ
れは「誠意」に基づきます。基本的には技術屋ですから、良いことは良い、悪いことは悪いと言います
。そして私に出来ることを行います。これらの3点により出てくる成果は、実はDOTSのカバー率向
上ではありません。お互いの信頼関係です。これが確立されれば、後は大分簡単になります。キプロス
の結核対策課長が以前我々に言いました。「我が国の結核患者は年間数十人で、DOTSを実施しなく
ても全患者を管理できる。でも私はあなたたちのためにDOTSを行う」。キプロスは今 "DOTS ALL O
VER" です。
今後
"DOTS ALL OVER" は、まだまだ実行途中です。西暦2001年に東地中海地域では "DOTS ALL OVER"
未達成の国を集めて会議を行う予定です。その時に私たちの本当の成果が報告できると思います。
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