結核先進国の経験に学ぶ
 

オランダ結核予防会理事長
ブルックマン先生に聞く

 


(撮影:大武岸次)
ブルックマン氏(J.F.Broekmans)>      オランダ結核予防会理事長。国際的な結核対策研究の第一人者。 WHOの技術・研究諮問委員会(TRAC)議長、国際結核肺疾患予防連合(IUATLD)理事などを務め、結核サ−ベイランス研究会 (TSRU)の中心的メンバ−。若いころからタンザニア、ベトナム、中国など多くの国で結核対策事業に携わってきた。
 

結核予防会会長    青木 正和


 

 低蔓延国の仲間入りをして、新たな問題に直面している日本。一方、状況の変化をたくみに乗り越え、 今も活発に着実に結核対策に取り組んでいるオランダ結核予防会の存在は世界でも名高い。
 その経験のなかに、システムの違いを越え、問題解決へのアイデアを見いだすことができるのではないだろうか。
 「結核セミナ−」の演者として来日したブルックマン氏に聞いた。
 

35年先を歩むオランダ

青木  この度はお忙しいところ、また、結核サ−ベイランス研究会の後のお疲れのところ、 日本においでいただき、ありがとうございます。明日からの「結核セミナ−」でもお話していただくと思いますが、 この機会に「結核先進国から学ぶ」ということでお話しいただきたいと思います。
 今、結核罹患率は10万対34ですが、オランダがこのレベルになったのは1960年代の初めでした。 つまり、オランダは日本の35年先を歩いていると言えます。そして今では、結核対策は「集団的アプロ−チから 個別的アプロ−チ」に移り、結合化(integrate)されて行われていると聞いていますが、このような変貌はいつごろ、 どのようにして進められたのでしょうか。
ブルックマン  私は今までベトナム、中国、インドネシアなど多くのアジアの国々を訪ねていますが、 日本に来る機会はありませんでした。日本の西欧医学は200年前、長崎の出島を通してオランダから入ったと聞いていますが、この 古くから関係のある国を訪問できてうれしく思っています。
 オランダではBCG接種は組織的には全く行われませんでしたが、集団検診や患者管理などBCG接種以外の対策は、今の日本とほとんど 同様に行われていました。しかし、60年代になると検診での患者発見率は低くなり、治療終了後の再発率も低くなるなどのため、 少しずつ見直しが進められました。
 そして、今のような「個別的な対策へ」と改められたのは70年代の後半から80年代の初頭にかけてのことです。
青木  大きな変革だったので大変だったと思うのですが、具体的にはどのように進められたのでしょうか。
ブルックマン  オランダの結核対策は独特の発展をとげてきました。オランダ以外はどこの国でも、 国、県などの医師が結核対策の担い手となっていますが、オランダでは結核予防会(KNCV)が全国に50の胸部診療所(chest clinic)を持ち、 これが中心になって結核の診断、治療、管理を行ってきました。ところが60年代の後半になると結核患者が減り、胸部診療所の維持が困難に なってきたのです。
 そこで、まず、ここで働いている医師の研修を大々的に開始し、結核医から一般公衆衛生担当医になるための再教育を行ったわけです。 結核医から新しいタイプの医師に生まれ変わったわけです。
 一方、KNCVが胸部診療所をそのままの形で維持することは不可能でしたので、新しいタイプの医師と一緒に地方自治体に移管し、ここで結核と 一緒に広く公衆衛生活動に携わってもらうことにしました。
 このようにして50の胸部診療所の組織の再編成が完了したのは80年のことです。
 

結核低蔓延国での対策の重点

青木  そうすると、オランダの結核対策は80年以後一変したわけですね。
ブルックマン  結核が少なくなれば結核を診る機会は少なくなり、経験が減り、専門家が少なくなります。 結核対策は一般の保健サ−ビスに統合した形で行わねばなりません(図 1)
 結核が少なくなれば、中央からの強力で一律の対策から、地方の実績に合致した対策に変わっていきます。 また、結核集団感染事件や難民への対応など、難しい対策が必要となります(図 2)

図1 オランダの経験 図2 オランダの経験

結核集団感染対策への
重点の移行

 つまり、結核が少なくなった国での結核対策は、integration(対策の統合化)、decentralization(地方分権化)、 outbreak management(集団感染やハイリスク・グル−プに対する対応)expertise(専門技術者の維持)などのキ−ワ−ドで 表現される方向に変貌していくわけです。
 このため、地方自治体が中心になって行うこれらの対策を、国がサポ−トし、各機関の調整を することが必要となってきます。
 

図3 国家結核対策会議
国家結核対策会議

青木  結核対策を地方自治体にまかせ、一般保健サ−ビスに統合すると、よほど注意していないと 対策は「抜け殻」になってしまいますね。
ブルックマン  われわれは国家結核対策会議(National Tuberculosis Policy Committee)という 会をおよそ2カ月に1回開き、組織の強化を図っています。委員の構成、事務局、主な任務は 図3に見るとおりです。
 新しい問題が起きればここに報告してもらい、どう対応すべきか全員で討議します。意見が一致すれば ガイドラインやマニュアルを作ったりしますが、徹底的に議論を重ね、結論が出るまで1年余りの時間がかかることもあります。
 この会議は50年から開かれており、来年には第250回目の記念すべき会が開かれることになっています。
 

オランダの結核の現状

青木  全国での結核の診断、治療、管理にあたる医師、保健婦、行政官などの代表が2カ月ごとに 集まって徹底的に議論を重ねて、対策をより良くしていくという組織は、わが国も見習いたいですね。
 ところで、オランダの結核と対策の実情をもう少し教えて下さい。
図4 オランダの
全結核新登録患者数の推移

(1974〜1996年)

ブルックマン  オランダの結核は85年頃までは順調に減少してきたのですが(図 4)、 以後、外国人の結核が次第に増え、今では新登録患者の半数以上が外国人となっています。そしてこの結果、新登録患者数はわずかずつ 増加を続け、現在、総数で1700人程度です。
 結核の診療、対策に当たる陣容は、全国25地区の結核サ−ベイランス医官、50人の結核保健婦、200人の検査技師・X線技師などです。 全国57の自治体にはそれぞれ保健所があり、ここで診療が行われています。
 このほか、ソマリアなどアフリカ諸国からの難民が多く入ってきますので、X線検診車を南北オランダにそれぞれ1台ずつ配備し、 難民の検診にあたっています。
 また最近では、結核菌のいわゆる指紋分析の結果、従来考えられていたよりはるかに多くの結核感染が起こっていることが 明らかとなっていますので、接触者検診を強化しています。オランダでは今でも毎年10件程度の結核集団感染が発生しており、対応がますます 重要となってきています。
 

KNCVの活動

青木  KNCVは最近、途上国への協力を活発に行い、非常に活発化しているように思います。 結核予防会の使命、将来をどのようにお考えでしょうか。
ブルックマン  KNCVの国際協力は83年から始められましたが、初めは資金を出し、 スティブロ先生がタンザニアなどで協力を実施する形で始められましたが、88年から次第に 強化され、93年からは非常な勢いで進められています。(筆者注=KNCVの活動状況は、本誌No.246(95年11月号)に 簡単に紹介されています。職員数は少し増え33人になっていますが、国内での活動、途上国13カ国での国際協力のほか、 WHO,IUATLDなどでも活発に活動しています。)
 実は最近、KNCVのどこが長所か、どこに問題があるか、外部のマネ−ジメント・コンサルタントに委託して 評価を行ってもらいました。さまざまな勧告を受けましたが、こうして96年に「オランダ結核予防会の使命」が 作られました(表 1)。そして実際には、図5に示した仕事を主要な責務と考え、 日夜仕事を進めています。
表1 KNCV(オランダ結核予防会)
の使命
図5 KNCV(オランダ結核予防会)
の中心的職務

精度の確保

青木  これだけの仕事を進めるための資金は、どのようにして集めているのでしょうか。
ブルックマン  大部分がシ−ル募金その他の募金です。(筆者注=95年の予算はおよそ9億円)ただ、 最近では仕事量が増えてきて資金が不足してきたので、新しい組織を作って募金活動を強化することを考えています。
 「結核セミナ−」での講演が終わって至急オランダに帰るのは、WHOの古知先生にも来てもらい、募金のための 新組織を作る準備を進めるためなのです。今後、募金活動をより活発にして、マスコミへのPR、難民の結核対策はもちろん、 研究や国際協力もさらに強化しようと考えています。
青木  日本の結核予防会とは歴史、性格、組織が大きく違いますが、今後の結核予防会のあり方 を考える上で非常に勉強になりました。われわれも努力していきたいと思います。
 本日はありがとうございました。今後、両国の結核予防会がますます緊密に連絡をとりあい、それぞれの国の結核対策の改善、 世界の結核制圧になおいっそう貢献したいと思います。

 

参考:オランダの結核罹患率(95年)は10.4(10万対)。日本は34.3(96年)。

Updated 00/07/13