はじめに
ヨーロッパは、比較的狭い地域に多くの国々が、異なる文化・歴史をもちながら発展を遂げてきたが、いち早く産業革命・都市化を達成した西欧諸国の多くは、結核の著しいまん延をも世界に先駆けて経験した。それらの国々では、社会環境・生活水準の向上などにより、20世紀初頭には既に結核の減少が始まっていた。第二次世界大戦後、抗結核薬の発見や結核対策の導入により、さらに順調な減少が進んだ。しかし1980年代に入り、その減少が低迷し、増加に転ずる国も出てきた。さらに1991年のソ連崩壊後は、以前から比較的罹患率が高かった東欧・旧ソ連諸国が混ざり合ってヨーロッパの結核疫学が多様化した。
この疫学的な動向に加え、最近、結核に関する興昧ある動きがみられている。一つは、低まん延下の新しい課題の出現と対策上の変化、二つ目は、ヨーロッパ地域全体での結核指標の標準化やサーベイランスヘの動きである。これらは、WHOのGlobal Emergency(世界結核緊急事態宣言)やDOTS戦略に呼応しているが、統一化しようとするヨーロッパの動きや、ソ連崩壊後、東欧諸国や旧ソ連諸国の結核増悪の実態が明らかになったことなどが背景にあると言えよう。
本稿は、最近の資料を基にヨーロッパにおける結核の疫学的推移や状況、対策上の課題などを紹介しヨーロッパの後を行く日本の結核対策の将来を考える資料を提供したい。<その一>では疫学像の概観、<その二>(27号掲載予定)では国別の分析や、対策上の課題などを述べる。
方法と資料
1)WHOヨーロッパ地域(52ヵ国)をもって、本稿のヨーロッパ諸国とした。
2)用いた資料は、結核研究所国際結核情報センターで集められたもので、主に以下の資料に基づき検討を加えた。
(1)国別の罹患率についての全体的な情報(1995年)や比較は、KNCV(オランダ結核予防会)主催によるヨーロッパ結核サーベイランス・プロジェクト(EuroTB)の最新報告書1)
(2)罹患率の推移は、WHOによる世界の結核対策に関する報告2)3)
(3)西欧諸国に関しては、WHO・IUATLDによる疫学的推移の分析レポート4)
(4)東欧および旧ソ連諸国に関する情報は、WHOによる報告書5)
(5)人口や死亡率は、数年のWHOによる「世界保健統計」や国連による「統計年鑑」
(6)抗結核薬剤耐性頻度は、WHO・IUATLDの最新の調査報告6)
(7)その他、各国から出されている結核統計
(8)比較の目的で、必要に応じて日本や米国の数値も列記した。日本の数値は結核サーベイランス資料を用いた。
3)上記の資料のほとんどは、各国が自国の定義で報告したもので、多少の基準の違いや制度による違いもあるが、本稿は、できるだけ全体像の把握に焦点を当てた。例えば、肺結核と呼吸器結核、外国人国籍と外国生まれなどの異なる報告は同じものとして扱った。上記最新罹患率(1995年)はWHOとEuroTBで異なる数値がある場合は、時間的に後で数値を収集している後者のものを用いた。
結 果
一般的背景(1995年)
国別の一般的背景や新結核患者の状況を表1に、地理的分布を図1に示した。
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表1 ヨーロッパ諸国と結核新患者数(1995年) |
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図1 結核罹患率グループでみたヨーロッパ諸国(WHOヨーロッパ地区、1995年)1) |
1.西欧と東欧
概して、地理的に西欧と東欧に分けられるが、それぞれは政治的経済的にも、資本主義先進国や欧州連合(25ヵ国)と旧ソ連・社会主義諸国(27カ国)にほぼ対応する。
2.人口規模(表2)
52ヵ国の人口総数は、86万5,789人で、西欧諸国が39万人余(45%)、東欧諸国が47万人余(55%)である。それぞれの人口規模は、2万人台(サンマリノ)から1億4千万人台(ロシア)までさまざまである。100万人以下の小国は7ヵ国(そのうち4ヵ国は10万人以下)ですべて西欧に属し、結核罹患率は、すべてが10以下と著しく低位(後述)である。
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表2 人口規模と結核罹患率(1995年) |
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表3 GNPと結核罹患率(1995年) |
3.GNP(表3)
一人当たりのGNP(国民総生産)は、300米ドル台(タジキスタン)から4万米ドル台(スイス)間でさまざまである。概して、西欧ではGNPが大きく、東欧は相対的にGNPが小さい。またGNPが大きい国は、結核罹患率が低く、GNPが小さい国は、罹患率が高い。しかし、GNPが大きくても罹患率が高い国(ポルトガル)や、GNPが小さくても罹患率が低い国(アルバニア、アルメニア)もある。
新結核患者数および結核罹患率(1995年、表1)
患者数が得られた50ヵ国の新結核患者総数および平均罹患率は、30万4,101人で人口10万対35.1である。西欧諸国では5万6,147人(10万対14.3)、東欧諸国では24万7,954人(10万対52.3)である。それぞれの国の罹患率は著しい差があり、最高の101.9(ルーマニア)から2.7(マルタ)の広がりがある(図2)。罹患率を10万対20以下(低位:22ヵ国)、20〜49(中位:18ヵ国)、50以上(高位:10ヵ国)と区分した(表2)。さらに、10以下(著低位:11ヵ国)、100以上(著高位:1ヵ国)も用いた。
1.地域別罹患率(図2)
西欧諸国は、ポルトガル(高位)、スペイン、スロベニア(中位)を除きすべて低位に、東欧諸国はチェコ、アルバニア(低位)以外はすべて中位、高位に属する。
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2.患者の特性
2.1.年齢階層別罹患数(表4)
全結核の年齢階層別新患者数の分布(32ヵ国)をみると、全体では、0〜4歳1%、5〜 14歳3%、15〜44歳49%、45〜64歳28%、65歳以上19%である。年齢分布の型は、概して三つに分けられる(図3)。すなわち、a)年齢とともに罹患数が上がる上昇型(先進国型)、b)青年層で一つのピークがあり、高年齢層で再び上昇する二峰型(外国人の多い先進国型)、c)青年壮年層にピークのある単峰型(途上国型)である。これらは、年齢別罹患率でもほぼ同様である(次号<その二>国別分析参照)。中間型もあるが、型別に典型的な国を挙げると、a)フィンランド、アイスランド、(日本)、b)オランダ、ベルギー、フランス、イスラエル、イタリア、ノルウェー、スウェー デン、スイス、英国、c)ルーマニア、アゼルバイジャン、ラトビア、リトアニア、モルドバなどである。
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表4 国・性・年齢階層別結核新患者数(ヨーロッパ32ヵ国、1995年)1) |
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図3 新結核患者の性・年齢分布(1995年) |
2.2.男女比
女に対する男の比は全体として1.8で、小国を除き、1.2(フィンランド)から2.6(エストニア)まで差がある。概して西欧諸国に比が小さく、東欧諸国に大きい。年齢別には、若年者では男女比が小さく、高齢者で大きい。罹患率の性比もほぼ同様の傾向である(<その二>参照)、高齢者では男の母数が少ないので、罹患率では男がさらに高い。
2.3.外国人の占める割合(表5)
新患者中、外国人または外国生まれの患者の占める割合は、0.03%(ルーマニア)から62%(オランダ)までさまざまであるが、概して西欧諸国に高く、東欧諸国に低い。全体的にヨーロッパ人が多い。上記のとおり外国人、特に途上国からの外国人の患者が多い国では、青年層に患者数が多くなっている。先進国でもフィンランドのように外国人の少ない国では、若年層にピークがみられない。日本では外国人の占める割合は、1%台であるが、結核サーベイランスで、常時情報が得られない。
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表5 外国人(または外国生まれ)の占める割合(1995年)1) |
3.病気の特性・病型
3.1肺結核/肺外結核(表1)
肺結核の割合は、全体として89%、西欧諸国で75%、東欧諸国で92%である。西欧諸国で肺外結核が多いのは、高齢と外国人の両方の影響が考えられる。
3.2.全結核中、塗抹陽性(肺結核)の割合は、18%(ハンガリー)から50%(ルーマニア)までさまざまであるが、全体として37%である。東西の地域差はみられない。
結核罹患率の推移1975〜95
東西別にいくつかの国を選び、1975年以降の結核罹患率の推移を表6、図4に示す。国による格差は存在するものの、ほとんどのヨーロッパ諸国は、1980年代の前半までは、罹患率は順調に減少してきた。しかし、1980年代に入って(東欧では前半より、西欧では後半より)、この減少が停止し、増加がみられる国も 出てきている。これら推移は大きく三つのタイプに分けられよう。
a)低位低迷型:既に著低位まん延状態に入ったが、減少鈍化ないし増加が起こっている(オランダ、デンマーク、スウェーデン)、b)順調減少型:高位まん延ないし中位まん延状態から、順調に減少し、低位まん延状態に入ったが、最近減少鈍化ないし増加の兆しがみられる(フィンランド、英国、フランス、ドイツ、チェコ)、c)高位低迷型:高位まん延から減少しかけたが、低迷しているか増加しつつある(ルーマニア、ロシア、ハンガリー、カザフスタン、ポーランド)。
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表6 ヨーロッパ諸国の結核罹患率推移* |
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図4 ヨーロッパ諸国における結核罹患率の推移 |
結核死亡率とその動き
入手できる最新の結核死亡数と10万対の死亡率を、地域別・国別に表7に示した。1990年から1994年の西欧諸国では、全体的に結核死亡率が1前後と低くなっている。ほぼ5年前(1989年)の死亡率と比較すると、ほとんどの国で減少している。一方、東欧諸国ではチェコを除き、10前後の高い国が多く、それらのほとんどは5年位前より増加している。5以上で最低2倍近く増加している国は、アルバニア、エストニア、カザフスタン、キルギスタン、ラトビア、リトアニア、モルドバ、ルーマニア、ロシアで、特にロシアは7.7(1989)から14.7(1994)に増加した。
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表7 ヨーロッパ諸国の最近の結核死亡率 |
抗結核薬の耐性頻度
最近、WHOとIUATLDの共同による抗結核薬剤の耐性に関する国際調査が行われた。6)これは、標準化された方法による世界で初めての試みであり、技術的にも比較的信頼がおける。これに参加したヨーロッパ諸国の耐性頻度を表8に示す。全体として西欧諸国は、ポルトガルを除き耐性頻度が比較的低く抑えられているが、東欧諸国では初回耐性頻度が著しく高い国がある。厳密には対比できないが、参考までに日本の最近の耐性頻度も付記した。
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表8 抗結核薬剤耐性頻度(WHO,1994〜97年)6) |
1.初回耐性
西欧諸国では、なんらかの薬剤(H,R,S,E)に耐性の頻度は、平均8.1%で、ポルトガルが13.7%と高い。多剤耐性(H+R)の頻度は、平均1.0%で、ポルトガル、北アイルランドが1.7%と高い。
東欧諸国では、なんらかの薬剤耐性が、平均15.8%で、ラトビア、エストニア、ロシアが3割近くと著しく高い。多剤耐性では、平均5.0%で、ラトビアが14.4%と高い。
2.初回・獲得耐性のいずれか(未治療・既治療を合わせたもの)
西欧諸国では、なんらかの薬剤に耐性の頻度は、平均12.1%で、ポルトガルが16.5%と高い。多剤耐性は、平均1.5%で、ポルトガルが3.7%と高い。東欧諸国では、なんらかの耐性は平均19.3%、ラトビアが41.6%と高い。多剤耐性は、平均6.9%で、ラトビアが22.1%と高い。
考察とまとめ
1.1980年以降に米国を始めとして西欧諸国は、低まん延状態になってから、減少低迷、再増加を経験した。この疫学的逆転は人類史上初めてで、要因としては、まん延国からの外国人の増加、HIV感染流行、適切な対策の遅れなどが考えられる。ヨーロッパでは、HIV流行の影響は米国ほどでないとしても、外国人労働者を軸に低所得社会階層やスラム地区での多発という問題の本質は米国と共通していることが多い。ただし、外国人の少ないフィンランドなどには明確な鈍化はみられていない。また米国はその後の対策強化により増加曲線を減少傾向に変えた。日本は、 1970年代の後半より減少鈍化がみられるが、最大の要因は、年齢層の急速な老齢化で、ヨーロッパ型や米国型と少し異なる。
2.東欧諸国の多くは高位低迷型であり、社会環境や結核対策の悪化がその要因として考えられる。ただしチェコが順調に減少しているのは興昧深い。
3.死亡率は、西欧諸国は既に低くなって減少が進んでいるが、当然高齢者の割合は高いと考えられる。東欧諸国では、増加傾向がみられる国が多く、対策の質が問われる。
4.東欧諸国に薬剤耐性が高いのは、過去の対策の質と深い関係があることが考えられ、現在の対策をより困難にしている。
5.ヨーロッパ諸国の結核の推移は、将来の日本の結核の推移を考えるよい材料を提供していると言える。
文 献
1 ) Global Tuberculosis Programme / WHO : Global Tuberculosis Control, WHO/TB/97, 225, Geneva, WHO Report 1997.
2 ) Global Tuberculosis Programme/WHO:Tuberculosis-A Global Emergency: Case notification Update, WHO/TB/96, 197,Feb. , 1996.
3 ) Raviglione MC et al : Tuberculosis Trends in Eastern Europe and Former USSR, Tubercle Lung Dis, 75 : 400〜416, 1994.
4 ) Raviglione MC ・ Sudre P ・ Rieder HL et al : Secular trends of Tuberculosis in Western Europe Epidemiological Situation in 14 Countries, Geneva, WHO, TB Programme, WHO/TB/92,170,1992.
5 ) EuroTB and the national coordinators for tuberculosis surveillance in the WHO European Region Surveillance of Tuberculosis in Europe, Report on the feasibility study (1996〜97) , Tuberculosis cases notified in 1995, Oct., 1997.
6 ) The WHO/IUATLD Global Project on Anti-tuberculosis Drug Resistance Surveillance 1994〜1997 : Anti-tuberculosls Drug Resistance in the World. WHO Global Tuberculosis programme, Geneva, WHO/TB/97, 229,1997.
7 ) Hirano K ・ Kazumi Y ・ Abe C et al: Resistance to Antituberculosis Drugs in Japan, Tuberc Lung Dis, 77 : 130〜135, 1996.
8 ) Kumar D ・ Watson JM ・ Charlet A et al : Tuberculosis in England and Wales in 1993 : results of a national survey,Thorax, 42 : 1060〜1067, 1997.