今年の大リーグのオールスター戦は、2年前に野茂投手がノーヒットノーランの偉業を成し遂げたコロラド州デンバー市のクアーズ球場で行われました。テレビをご覧になった方は、ロッキー山脈を望む美しい高原の街デンバーの様子をご存知かもしれません。世界的に有名な難治性結核の治療センターがこのデンバーにあります。高原の街というと一昔前の小説の中のサナトリウムのイメージが浮かんできても不思議はありませんが、デンバーにあるナショナル・ジューウィシュ・センター(National Jewish Medical and Research Center 以下NJC)は多剤耐性結核や非定型抗酸菌症の治療に最新の技術と長い経験を結集した病院兼研究施設です。最近、日本でもMRSAやVREなど抗生物質が効きにくい細菌が問題になっています。結核もその例外ではなく、リファンピシンをはじめとする従来の強力な抗結核薬が効かない多剤耐性菌による結核が問題になってきました。
1997年の11月号の本誌に「アメリカの結核対策」と題してDOTSを中心とした留学中の経験を書きましたが、今回はその第2弾として、特にこの多剤耐性結核の治療に関してデンバーでの経験を中心にまとめてみたいと思います。
◆米国における多剤耐性結核
1990年前後に注目された米国における結核の「再興」は、多くの薬が効かないという多剤耐性結核の増加を伴っていました。リファンピシン登場以後の75年から82年の調査では、何か一つの抗結核薬に耐性の菌は6.9%でした。続く82年から86年には9%でしたが、検査方法の進歩などによる違いと考えられていました。ところが、91年には14.2%もの菌が何らかの薬剤に耐性という結果が出、特にリファンピシン、INHという主要な両剤への耐性を示す菌が3.5%見つかり、ニューヨーク市にいたっては19%が両剤耐性という非常事態であることが明らかになりました。
多剤耐性結核には、多剤耐性菌の感染を受け発病した場合(一次耐性)と主に不適切な化学療法が原因となって治療中に耐性化が生じた場合(二次耐性)があることが以前から知られています。米国での多剤耐性結核の増加の背景にはまず、不適切な治療(処方が不十分、決められた薬を服用しない)や治療からの脱落などによる二次耐性患者の増加があります。これらは、医療界や行政が結核の存在を軽視し結核対策における福祉サービスが低下したことと、もともと結核の多いアジアや中南米からの移民を中心とした貧困層が増加したことなどが相乗して起こった現象と考えられます。また、多剤耐性菌が従来考えられていたより強い感染力・病原性を示し、今までに結核の感染を受けていなかった若い世代に広がりをみせ、病院や刑務所などの施設内での感染・発病(一次耐性)も増加しました。また、治療早期で死亡する者も多くみられ、「耐性菌は弱い菌なのであまり心配ない」という神話が崩されたのです。これに加え、免疫力の低下したHIV感染者を中心に、結核治療中の患者が他の患者から耐性菌をうつされるという「再感染」がクロ一ズアップされました。一度結核にかかった者が再発するのは、眠っていた生き残りの菌の再燃によるものという常識までがくつがえされたのです。これは、結核患者同士、あるいは患者と既感染者なら一緒にしておけばいいという、療養所型の結核医療の常識を否定する大問題です。老人福祉施設でも検討が必要な点です。
このような多剤耐性結核に今米国はどう立ち向かっているのでしょうか。一つのモデルがデンバーにあります。
◆デンバーの結核対策
全米の多剤耐性結核医療の中心といえるNJCのあるデンバーでは、実は多剤耐性結核はまったく問題になっていません。デンバー市はDOTSを全米で最も早く採用した地で、米国の医療界が結核の存在を忘れてしまった80年代も治療から研究に至るまで地道な努力を続け、結核問題の重要性を訴え続けてきました。行政、教育研究機関、医療機関が一体となって結核対策を支えてきたのです。
デンバー市立病院に隣接して、結核や各種の性行為感染症の無料検査・治療を行う施設があります。DOTSに通う患者には、朝7時からの外来サービスや交通費の支給などが行われています。重症患者は市立病院に収容されますが、各病棟には感染症対策のための室内圧のモニター警報装置がついた個室が用意されています。コロラド大学は呼吸生理などの研究で世界的に有名ですが、結核の手術 のできる場所や人材、呼吸器疾患や感染症の公開会議の提供など、地域の医療機関と連携した社会に開かれた活動をしています。
デンバーにおける多剤耐性菌対策は、まずDOTSにより二次耐性の患者を出さないこと、院内感染を防止し一次耐性の患者を出さないことが基本にあり、それでも出てくる多剤耐性患者は集学的治療で何とか治癒させようというものです。
◆NJC
NJCは、免疫・アレルギー・呼吸器疾患の医療・研究施設として世界的に名を馳せてきました。いわゆるNPO(非営利団体)で篤志家からの寄付や各種研究基金の獲得などで運営されており、人種や国籍、支払能力によらずに患者を受け入れることを謳い上げています。結核をはじめとする抗酸菌部を率いるIseman教授は、コロラド大学の内科の教授でもありIUATLD(国際結核肺疾患予防連合)の雑誌の編集長でもあります。
NJCの多剤耐性結核治療を支えるものとして技術面では、@充実した細菌検査ラボ、A副作用の多い二次結核薬に対応する薬剤体内動態モニタリング、B治療早期における手術の導入があげられます。
@細菌検査
患者より検出された菌が結核菌なのか、結核菌だとするとどの薬が効く菌なのかを正確かつ迅速に知ることは難治性の呼吸器疾患では大きな問題です。NJCでは、結核菌が検出された際には11種類の薬剤に対する感受性試験が行われています。また、他の抗酸菌が検出された際には検出菌にあわせて違ったメニューでの試験が行われます。ここには全米各地から検体が送付され、主にFAXにより結果が戻されています。専用の無料電話相談で治療薬の選択などのアドバイスもなされますので、患者をNJCに送らなくても適切な治療が受けられる体制がとられています。
A結核薬の体内動態モニタリング
多剤耐性結核の患者に使用する二次薬は様々な副作用が出現しやすいことも知られています。反対に薬の吸収に個人差があるために、何も副作用のない人は逆に薬がそのまま排泄されているといったことも考えられます。特にエイズや消化器疾患の患者では結核薬の吸収が悪い場合があります、そこで導入されているのが、使用薬剤の体内での動態(特に血液中の濃度のピークや時間経過)のモニターで、その結果に基づき薬学の専門家が医師に処方量などのアドバイスをします。これにより限られた薬剤が副作用で使用できないことが減るだけでなく、薬剤の濃度が不足しているために菌が新たな耐性を獲得するといったことも避けることができます。
B治療早期における手術
しかし、多剤耐性結核の場合、化学療法には限界があります。NJCの10年前の成績では65%の治癒率でした。その後有効な薬剤としてはlevofloxacinが登場したのみですのでIseman教授も化学療法のみでは大きな治癒率の違いは生じないだろうと述べています。治療初期に順調に回復したように見えた患者が数ヵ月のうちに新たな耐性を獲得するといったことはしばしばみられます。そこで、治療開始一ヵ月程度で薬が効いているうちに、空洞やすでに壊されてしまった肺組織など耐性菌の温床となる場所を手術により切除してしまうという方法が導入されました。この仕事は、コロラド大学のメディカルセンターと共同で行われていますが、私の滞在中には、中学生女子の手術があり最年少記録の更新ということでした。昨年出版されたデータでは、これまでに130人の多剤耐性結核の手術が行われ、術後も薬剤の服用を続けた患者では90%以上の治癒率があがっています(表)。
デンバーには、多剤耐性結核の患者が少ないこともあり、患者の多くは州内外より紹介されNJCを訪れ、手術後にまた地元でNJCにより指示された治療を継続します。広い米国でも州ごとに見れば結核の手術を行う機会はそれほど多くないと考えられ、その技術を維持するには集中して患者を集めるナショ ナルセンター方式が優れていると考えられます。
◆日本への応用
多剤耐性結核は日本ではまだそれほど大きな問題ではありません。しかし、患者さんが少ないからこそ医師に経験がなく、専門家の手に渡る前に問題を広げてしまうといったことが見られます。国内に難治性結核・抗酸菌症の情報提供も含めた治療センターを持つことが、今後耐性菌の問題を拡大しないために重要と考えられます。また、結核菌検査も県衛生研究所などが集約して行い、難しい症例はさらに上位の機関に検体を送付するなどのネットワークをつくり検査の精度を保つことも考えられるべきでしょう。
NJCでは、薬学や細菌学の専門家が回診に立ち合い、教授がその意見に耳を傾けるといった姿も印象的でした。研究費が人件費に使えることで、スタッフの一部として年俸制で優秀な専門家が雇用できるなど日本の公的機関では難しい側面もありましたが、集学的治療ができる体制がセンター機関では不可欠です。
行政・教育・研究・医療機関が一体となって結核を征服しようという強い意志を感じたデンバー滞在でした。