結核予防週間に寄せて
結核予防法大改正以後の対策のあり方
結核研究所 所長
森 亨
結核予防法の大改正とそれに伴う多くの制度の改廃がうち続くなか、これへの対応が各方面への当面の大きな課題となっている。この制度改革の最大の意味は「50余年ぶりの改定」として、制度のあり方を流動化させたことにあると思う。つまり、この動きの先に次の、またその次の変革が待っていると考えるべきである。本稿ではこの観点から今度の改定のさらに先にあるものを考えつつ、今回の改定について見直してみたい。
■必要な日本独自の対策計画■
日本はよくも悪くも独自の医療制度、独特の人口転換、そして結核対策に対する先人の独自の努力という伝統の延長のうえで、独特の結核問題を持っており、これに対する対応は基本的には日本独自の行き方を編み出し、実施していくほかない。
その最たる例が治療のあり方である。欧米・途上国を含めて結核治療は公的施設で行うことが原則となっており、それからはみ出した治療は非公式的な治療とされ、それを政府方針に適合させようということが、いまのストップ結核パートナーシップなどで重要な課題となっている「公私パートナーシップ(ないし公私共同)」である。日本はこれを1951年以来、結核治療の100%でずっとやってきたことになる。それにはそれなりの苦労や損失もあるのだか、それを克服するためのモデルはほかにはなく、我々自身が独自の方式を創造していくほかはない。他の分野においても多かれ少なかれ同様である。
■予防接種・化学予防■
結核の一次予防方策として予防接種と化学予防があるが、「感染後ワクチン」(感染を受けた後に接種して発病を予防するワクチン)が開発されるまでには時間がかかるので、それまでは両者をうまく組み合わせて利用していくことになる。年少者の予防を主たる目的とするBCG接種は、現在その有用性を発揮している。しかし私の予測では、あと10数年後には、日本の結核罹患率の状況が、乳幼児の無差別予防接種を廃止したスウェーデンの状況(1975年)に近づき、(スウェーデンの意思決定者の判断基準によれば)BCG接種の利益はほとんどなくなる。その後の選択としてはリスクの大きい子供に重点的に接種することになるだろうが、「差別」に敏感なこれまでの日本の行政姿勢では、これはそれほど簡単ではない。より効果の確実な、優しいワクチンが開発されれば、全員の接種のさらなる継続もあり得ようが、ここ10年では間に合いそうにない。
一方、近い将来化学予防が年齢によらず発病リスクの高い人に適用されることになり、かつ効果的に行われれば「根絶」への最強力な手段となる。そのための技術・行政両面での努力は非常に重要である。つまり、診断技術の向上による的確な適応、薬剤方式の開発による効果とコンプライアンスの向上、そして医療サイドの積極的な参加とである。
■患者発見■
患者登録の1年以内に結核で死亡する割合(早期死亡率)は、この15年の間に2%から4%へ跳ね上がった。その大半が発見の遅れによるものである。健康管理の機会に恵まれない人々(ホームレスだけではない!)にみられるような「受診の遅れ」も増加している。早期死亡には到らないまでも、発見の遅れのために呼吸機能障害などで失われるQOL損失は今後も悪化するであろう。そして同時にこの問題には「周囲への感染リスク」が連動する。このような事態の回避こそ今後の患者発見の課題であり、そうしたいわばパラダイムシフトに、今回の改革は中途半端にしか対応できていない。
健康診断について言えば、これまでは「敷居の高い医療機関に受診するようになってからでは薬の効果が不十分なので、それよりも軽い状態で見つけてあげる」のがその目的だった。しかし今後は、目的の大半は「受診の遅れがちな問題を持った人の結核を早期に見つける」方向に変わってきた。そこで問題はどうやって対象を規定し、動員するかである。今回の改革ではほとんどが市町村次第となっているが、これから先は、市町村のほか、保健所や福祉機関、さらになんらかの広域行政機構、あるいはこれらに業種団体、健保組合やNGOの組み合わせといったものが汗を流すほうが効果的ではないか。このような行政サービスのためには相当のアドボカシーが必要である。
今でも患者発見の8割をカバーしている臨床の場での早期の的確な結核診断は、医学的リスク集団への患者集中の折から、行政としてもますます無視できない。要点は医療職員が「結核はまだある!」の意識を研ぎ澄ますこと、そしてそのための具体的な行動を行政が起こすことに尽きる。診断の遅れが4週間以上の事例は州レベルで症例検討にかける、というのは米国の政策だが、そのような症例をみたら初診時から関係した医療機関での接触者健診を保健所がもれなく実施する、結核院内感染予防体制の確立を医療監視のチェック項目に含めて指導を行う、これだけでもずいぶん違うのではないか。また、患者発生届けはますます重要であるが、怠られることもある。技術的には電子化された健康保険レセプトの検索が最も確実だろうが(韓国で実施と聞く)、米国のように検査所や調剤薬局からの届けも有効であろう。プライバシー保護と裏腹だが、公衆の保護とひいては医療の向上のために、ここでも行政の決断が求められる。診断技術の向上のため、菌検査の精度の管理、特に商業検査所のなんらかの方式での外部精度管理制度の導入は、差し迫った課題である。
■治療■
まず、なんといっても日本版DOTSの普及である。特に今後はますます地域DOTSが重くなっていき、また院内DOTSにしても地域との連携がよりきびしく求められるようになる。入院の短期化は必然の流れであり、外来患者の中に占める脱落リスクの大きい患者の比率は、さらに高くなるはずだからである。ホームレスが大勢いる地域では外来DOTSの体制も組みやすいだろうが、それが1人、2人しかいないような保健所でも、またその他のリスク患者に対しても、必要に応じた十分な服薬支援の体制を日本版DOTSとして組んでいく必要が大きくなる。各県市・保健所が質の高いDOTSを実施しているかの評価を、国レベルで行っていく必要がある。
結核の入院施設の減少をは逆に、一般病院での不時の患者発生が今後増えるが、これに対応すべく一般病床への結核患者の収容、いわゆる「モデル病床」のニーズは増大する。現在までのところこの事業は伸び悩んでいるが、それが増えたときには、そのような施設における結核治療の技術水準の確保が課題となる。保健所の診査会(診査に関する協議会)の資質の向上と、指導性の強化は重要だが、それとは別にこのような非専門施設での結核医療の支援の方法も確立しなければならなくなるだろう。
同時にこのような合理的で上質な医療確保・提供には対価による担保が要る。入院の短期化による外来や地域への負担増に対するインセンティブや経済支援、未承認薬や各種検査の予防法承認など、すでに焦眉の急となっている課題である。
■「ストップ結核ミニマム」■
地方分権の潮流や補助金行政への批判の中で、全国一斉の政策に代わり、対策が都道府県や市町村の裁量に委ねられる部分が多くなるのは、時の勢いであろう。しかしそれは結核対策の最低限度を押し下げることにつながる危険性がある。「ストップ結核ミニマム」をできるだけ高水準に維持すること、そのなかで地方分権が適切に生かされるように都道府県には「都道府県結核予防計画」の策定が求められている。これを実効性のあるものにするのは何か。結局は住民の意思による後押しだと思う。住民の意思を職能団体として代表する地域医師会、結核予防会(支部)、そして各種地区保健組織などの役割は大きくなる。結核研究所としては、DOTSに限らず都道府県や保健所の結核対策の評価、これに基づくアドボカシー活動(戦略的啓発)が従来にも増して重要な事業になると思っている。
Updated04/10/04