先進国結核対策スタディツアー報告
〜行政が徹底した支援を行う米国の対策を視察して〜

12月1日〜8日/ニューヨーク, ロサンゼルス

国立療養所千葉東病院
呼吸器科医長
佐々木 結花
 平成14年12月1日から8日まで,結核予防会主催による第3回先進国結核対策スタディツアーに参加させていただき,ニューヨーク市,ロサンゼルス郡を訪問した。昨年の同時多発テロによりツアーが中止され,2年越しのツアーであったが,団長の結核予防会第一健康相談所杉田博宣所長に引率され,DOTSを中心とした結核対策について視察を重ねることができた。今回のツアー参加メンバーは結核臨床に直接携わる医療スタッフが多く,先進国の行政の取り組み,臨床の関わり,特に,どこまでどのように行政が関わるのか,臨床医はその方策に対し何を行うのか,などという具体的な問題について個々の視点から考えるだけではなく,ツアー参加メンバー相互で話し合い,理解を深めることができた。

ニューヨーク,クイーンズ地区コホート検討会
結核患者を激減させた
  ニューヨーク市の対策

 ニューヨーク市は1992年をピークとして結核患者が激減し,その結核対策が有効であったことが明らかである。ツアーのメンバーはニューヨーク市衛生局のスタッフにより,疫学,結核対策,患者サービスなどに対する講義を受け,その後クリニックで行われている結核診療,コホート会議の見学を行った。 
 筆者は市内に10ある結核クリニックのうちブルックリンのフォートグリーンチェストセンターを訪問した。クリニックは患者の教育指導,治療,接触者のツ反,患者登録や管理を行う結核の最前線基地である。ニューヨーク市は結核患者の情報がオンラインで結ばれており,クリニックからの患者情報,接触者の状況,ラボで得られた薬剤感受性検査のデータは関係諸機関からアクセス可能である。なお,大多数の情報はpublic health advisor(PHA)によって各医療機関から収集され,入力は専従の職員が行っている。治療はこれらクリニック,あるいは患者が希望する場所で直接監視下治療すなわちDOT(directly observed therapy)が行われ,その治療成績はクリニックごとのコホート会議において評価される。コホート会議はニューヨーク市衛生局のdirectorであるDr.Sonel Munsiff(日本ではおなじみのDr.Paula Fujiwaraの後任)の厳しいチェックの下,四半期ごとの患者について治療成績,接触者健診などについて検討がなされていた。PHAは自らが収集した患者の重要情報(治療内容,薬剤感受性成績,治療終了状況,接触者への対応)を1,2分で読み上げ,不十分なデータや不適切な対応について指摘を受け意見が戦わされる。PHAが何をするべきであったか,何が不足であったのか,医師の治療方針は正しかったのかという点まで踏み込んで評価されていた。
 後に,標準治療が困難であった場合についてクリニックのnetwork directorに尋ねたが「すべてはCDC(米国疾病対策予防センター)の治療基準に沿っている。これを読めばすべてが分かる」とのみ返事をされ,さじ加減という言葉はないのかと思ったが,最良の結果を得るためマニュアルに徹底的に準拠し結核治療及び接触者対策を行うという基本姿勢を示していた。
ロサンゼルス、中央保健所サテライトクリニックの外来DOT窓口

印象的なロサンゼルス郡のDOT
 ニューヨークが吹雪に襲われた午後,6時間のフライト,時差3時間を越えてロサンゼルス空港に着いた。ロサンゼルスは米国で最も早くDOTを開始した郡である。翌日早朝より,現地の保健師でDOT開始の先駆けである太田屋道子さん(日系人)のエスコートで,「すさんだ街角」という言葉が当てはまるダウンタウンのクリニックを訪問した。ツアーメンバーのうち4名は現地スタッフのDOTに同行した。
 スタッフは働く患者の生活に合わせ早朝5:30から活動を開始し,DOTは,「このクリニックに通院する患者」,「スタッフが訪問しDOTを行う患者」,「郡が結核治療を終了させる目的で公的な支援で住まわせているホテルにスタッフが送迎し,クリニックで内服を見守る患者」の3通りに分かれている。通院患者のある者は,クリニックの窓口で内服を行った後提示される書類にサインをする。これは週2回の間欠投与を行う際,その報酬として,1回の投薬ごとに次の投薬までの「居住」可能なホテルの滞在,「食」が確保されるキャフェテリアの食券を受け取るためのインセンティブの証書となる。スタッフが車で送迎に出る患者は,インセンティブを得るためにクリニックに送迎される。送迎患者の中には酒気をおびた患者もいたが,スタッフは気軽に会話し,近所の人をちょっとそこまで送るという印象であった。患者が宿泊しているホテルは2カ所で,個室,共同のバスルームではあったが,清潔が保たれ,内部を見せていただいたホテルでは,週1回リネンが取り替えられ,歯ブラシ,石鹸,髭剃りなどのアメニティが用意されていた。人間の基本的な生活を整え尊厳を保たせ抗結核薬を最後まで内服させる。抗結核薬を内服させ終了させるという目的でここまで徹底するのがやはりアメリカの行政の取り組みなのであろう。しかも,抗結核薬内服以外の行動については制限を加えていない。治療開始時には,内服を行う必要について保健師が徹底した指導を行う。それでも内服に従わない患者には裁判所などを通じ公式な手続きにより,個人の基本的な権利を制限するという(隔離入院)法的な措置をとることが可能である。太田屋さんに結核治療成功の秘訣を伺ったが「第一にDOT。でも,思いやりよ。人間の基本的な気持ちね」と答えられ,実に鮮烈な印象を持った。

本邦の現状とアメリカ視察後の意識の変化
 今回の視察後,結核については,患者が必ず内服するという希望的楽観的推測をやめ,行政という強い母体が社会のために徹底した管理を行って初めて撲滅可能であるかもしれないと考えた。医師は,結核を診断し,標準的治療の適応を見極め,副作用に対応し,治療の終了を決定する役割であり,通常の医師の業務を行政の情報を利用しつつ行い,また,コンピュータネットワークを利用して情報をフィードバックしていた。本邦のように,医師及び看護師が,患者教育,接触者への説明,服薬指導,生活支援する社会資源の導入,生活指導,退院指導,退院後管理など多くを行うシステムは,所詮無理があると考えられる。 
 一時はその対応の開きに愕然とし「物量作戦による成功」という古臭い言葉も浮かんだが,合併症を有する患者,高齢者からの結核発病という本邦なりの問題,インフラの整備不良,保健活動の縮小化など,医療全般が直面している問題がある。本邦なりの対策を講じなければ「先進国におけるお荷物―中まん延国」状態は継続していくことになる。保健インフラを整えずやみくもに入院を制限したり短期化することはむしろ危険であると考えられる。@結核対策への人と予算の配分。医療と保健の分業化。A医療基準の遵守をさらに徹底する。B重点とする患者群を設定し,対応に差があっても手厚く対応する必要のある群には手厚く対応する。C本邦における治療成績におけるevidenceをより明確にする。また,その結果を公にしていく。以上の4点が今回の視察にて得られた,本邦に対する今後の課題ではないかと考えた。


updated 03/06/05