アジアに迫るエイズ危機をにらんだ国際研修
結核研究所国際協力部 国際研修科長 大菅 克知
結核予防会結核研究所ではエイズ予防財団の委託を受け、アジア地域を対象にエイズ対策の人材育成を行っている。エイズを取り巻く状況を振り返り、研修の意義をまとめてみたい。
アジアに迫るエイズ危機
1981年にエイズが初めて医学界に登場して以来22年。この間にエイズの病因、診断法、HIVの感染様式とその予防策など、多くは解明されたが、エイズ問題は健康上の問題を超え、社会開発上の重要課題として君臨しつづけた。抗ウィルス薬を用いた治療法の発達に伴い、先進国のエイズ患者のケアは一変したが、発展途上国、特にサハラ砂漠以南のアフリカ諸国では、エイズは社会のあらゆるレベルに影響を及ぼしている。結核を増悪させ、人材不足を悪化させ、貧困に拍車をかけ、アフリカ諸国はまさに悲痛の叫びを上げているのが実情である。生物である以上当然な行為でありながら、多くの文化で話題にすることをためらう”性行動”に関係するため、未だに決め手となる対策が実現していない国がほとんどである。悲惨なアフリカの現状が報道される一方で、対岸の火事として無関心な状況も変わらない。そんな中で近年アジア(特にインド、中国)におけるHIV感染症の急速な広がりが注目され始めている。
予防が間に合うアジア諸国
世界のエイズ対策は、1980年代末からWHO世界エイズ戦略(Global Programme
on AIDS)が始まり、世界中の国々が国家エイズ対策中期計画を策定した。HIV検査、カウンセリング、安全な輸血、STD対策、啓発と教育など、予防に必要な内容はすべて網羅されていたが、残念ながらエイズの広がりに歯止めはかからず、WHOは1995年にエイズから手を引くことになる。国連機関としては1996年からUNAIDSが新たに創られ、NGO等の他の機関に頼りながら現在に至っている。
一方抗ウィルス薬を用いたケアの進歩と、倫理上の観点から、惨状を呈するアフリカ諸国においてもケアが話題の中心に取って代わった。これに対しHIV感染状況の異なるアジア地域はどうかというと、100%コンドーム政策が成功したタイ、急速な感染の広がりが危惧されるカンボジアとミャンマー。薬物乱用による感染を主とするベトナム、マレーシア、そして中国南部。売春等の危険な性行動を介して急速に広がりつつあるインドや中国等、アジアを構成する多様な文化社会を反映して、HIVを取り巻く状況も多様である。そんな中でアフリカと比較してアジア地域が幸運なのは、HIV感染者が未だに少ないためエイズ患者のケアに追われることなく、予防が未だ間に合う状況にいることである。問題はエイズの広がるスピードに負けることなく、いかに真剣に予防策が取られるかにかかっているだろう。
アジア各国の状況に応じたHIV対策の必要性と人材育成
WHOのエイズ対策の反省として、国家主導のエイズ対策に頼りすぎた点、社会文化の違いを軽視しWHOのドグマ(ガイドライン)を押し付けた点、さらに医療面に偏りNGO等との連携が弱かった点、などが上げられよう。しかしながら国家単位でエイズ対策をどのように進めるかが、1996年以来曖昧になってしまったのも事実である。成果を上げたNGOが存在する一方で、NGOがやらない部分、国家として取り組まねばならない部分がないがしろにされてきたきらいがある。
エイズ予防財団、結核研究所共催によるアジア地域エイズ専門家研修は、WHOエイズプログラムの終了する頃、1994年度に始まった。過去8年間に行われた9回のエイズ研修には、2002年末現在188人の研修生が参加している(表)。エイズ対策、指導経験の乏しい日本でやる以上、当初より諸外国との連携は不可欠であり、米国CDC及びタイ(サーベイランスと対策)、WHO西太平洋地域事務局(STD対策)、その他大学関係、NGO等の協力を得て研修が実現したが、その基本には結核研究所において過去40年間開催されてきた結核国際研修の経験と実績がある。カリキュラムは結核対策に習い、エイズのサーベイランス及び国家対策策定に必要な人材育成を主な目標に構成されたが、これは体系的なエイズ研修が少ない中で、その必要性と、やや軽視されている国家レベルの人材育成を維持するという当初の目的による。一方WHOに寄せられた批判も参考にし、ドグマでない、より各国の社会文化の状況に応じた計画作りを、参加者自ら策定させることに力点を置いたのは言うまでもなく、NGO活動や参加者の職務レベルに応じた問題分析と解決策の考案へと、カリキュラムにも漸次改良が加えられた。また結核HIV重複感染の問題等、結核担当者と、エイズ担当者の双方が協力して推し進めなければならない重要課題にも力が注がれている。
表 アジア地域エイズ専門家研修国別参加者内訳
国 名 | エイズコース 1994〜2002年 |
エイズ個別研修 2001年〜 |
エイズコース合計 1994〜2002年 |
バングラデシュ | 3 | − | 3 |
カンボジア | 19 | − | 19 |
中国 | 21 | − | 21 |
インド | 9 | − | 9 |
インドネシア | 8 | − | 8 |
日本 | 7 | − | 7 |
ケニア | 1 | − | 1 |
韓国 | 8 | − | 8 |
ラオス | 9 | − | 9 |
マレーシア | 12 | − | 12 |
モンゴル | 7 | − | 7 |
ミャンマー | 17 | − | 17 |
ネパール | 10 | − | 10 |
フィリピン | 14 | − | 14 |
シンガポール | 1 | − | 1 |
スリランカ | 8 | − | 8 |
タイ | 19 | 1 | 20 |
トルコ | 1 | − | 1 |
ベトナム | 13 | − | 13 |
参加人数 | 187 | 1 | 188 |
国数 | (19ヵ国) | (1ヵ国) | (19ヵ国) |
2002年度のエイズ研修
今年度は2002年9月30日より11月6日まで、アジアの13ヵ国から18名の参加者を得て開かれた。エイズ対策に関する知識の部分では、エイズ及び結核の疫学、サーベイランス、行動科学、医療経済学、アジアのエイズ対策などが取り上げられ、また計画立案の手法として問題分析と計画案の策定法及び、それらの発表を通じて、参加者が得た知識を行動計画に置き換えることが求められた。また国立感染症研究所、国立国際医療センターエイズ治療研究開発センター、京都大学大学院、NGOとしてMASH大阪等を視察した。参加者は30代の若手が中心で、政府系、研究機関、NGO等とまちまちであり、また活動レベルも国レベルから町レベルに至るまで様々であったが、それぞれの立場に応じた問題点の分析と、その解決策の考案がなされた。
今後の研修に期待されるもの
HIV対策は、予防からケア、医療から社会行動へと多岐にわたっており、また活動の場も政府から民間と様々である。これらのすべてが重要である一方、これらすべてに携わっている者もいない。当初より国家エイズ対策という視点を維持してきたために、現在の研修は多様な参加者の期待に添えなくなりつつある点が指摘できる。その意味では焦点をより絞った研修が望まれるが、ではどこに絞るか?はじめに指摘したように、アジア地域は多様性に富んでおり、HIV感染症の状況及びエイズ対策の力点も多様である。今後はこのあたりの見極めが重要であろう。また世界でエイズ患者のケアが叫ばれる中、ケアも取り入れていくことは大切ではあるが、やはりアジアのHIV疫学状況を考慮し、より予防医学的視点を再強調していくことは理にかなっていると考えられる。今年2003年は神戸にてアジア太平洋地域のエイズ国際学会が開催される。次回の研修はこの国際学会とも連携して有意義なものにして行きたい。