〜元結核患者さんの声〜


「あなたもDOTSできっと治る、私のように」
患者の個々の経験話には様々なドラマがあり、そこには国民及び医療関係者が学ぶべきことが多くあるはずです。こうして、結核の治った元患者が世界結核デーを通して、DOTSのサポートとなり、社会に自ら早期発見と治療の完全実施及び結核対策の重要性を訴え、結核に対する差別や偏見を社会からなくすことが求められています。


「結核の症状が出たら、すぐに受診してください。」
Tさん(日本)
 Tさんは去年の5月にある病院でレントゲン検査をし結核であることが分かりました。2月頃から咳が出始め、熱が40度も出るようになりました。体重も10kgも落ちてしまいました。「血痰も出たから、肺癌ではないかと思ったが、まさか結核だとは思わなかった。」とTさんはその時の気持ちを語ってくれました。最初結核と言われた時、意味が分からなかった、山奥の療養所に行って、2週間くらいで出られるかもしれないと思ったそうです。病院に入院した時には安心感もあったが、治療方針を説明されても最初は訳が分からず不安でした。それほど結核という病気について何も分かっていませんでした。それから、主治医と看護師、ソーシャルワーカーの協力もあり、自分で完全に治したいという気持ちが強かったので、DOTS治療を完了することができました。今だったら結核と向き合えることができるそうです。「治った今は、結核について分かったし、他の人にも『症状が出たらすぐ受診しなさい』と言うことができる。」とTさん。


「結核のPRをもっとやってほしい。」
Oさん(日本)
 「私は、結核をやるのは2回目なんだよね。」とOさんは静かに話し始めました。最初の時には結核だと診断されましたが、3ヵ月の入院後に薬を飲まなくなったため、その8ヵ月に再発してしまったのです。今回も1回目と同じように咳やたんなど風邪のような症状が出たため、結核かと思ったものの、約8ヵ月放置していたそうです。そうしたら症状が重くなってしまいましたので、もう駄目だと思い、知り合いの警察官のところへ飛びこみました。それからすぐ救急車で病院へ運ばれました。その時に最後まで治そうと覚悟を決めたそうです。「病院の院内DOTSはきちんと指導してくれるから、そのおかげで退院した後も最後まで薬を続けて飲むことができた。それに保健所の保健師さんも親身になってくれるから…」とOさん。結核になった時のショックは大きいため、国民に「結核の症状はこれだ」と認識させるために、OさんからはPRをもっとやってほしいとの要望がありました。


「一度だけ熱が出て保健所に行けない時は保健所の方が家まで届けてくださりそれが励みとなって、DOTS治療を終了することができた。」
Kさん(日本)
 年2回の定期健診で、レントゲン写真に影があると言われました。一昨年の12月に精密検査を行った結果、結核であると診断され、清瀬の病院に入院しました。咳など自覚症状がなかったので、特に精神的ショックはなかったものの、仕事ができなくなったことが一番辛かったです。入院している時に保健師が月1回DOTS治療について説明にきてくれたので、この時DOTSのことをはじめて知りました。退院してからは、時間もあったので、保健所に通うことを自分で習慣づけるようにしました。1度だけ熱が出て保健所に行けないことがありましたが、その時は保健所の方が家まで届けてくれました。そんなことも励みとなって、DOTS治療を終了することができました。もし、1人で薬を飲むことになっていたら例えば飲むべき薬がベットの下に落ちてしまっても拾って飲もうとしなかっただろうし、また昨日飲み忘れた薬をもったいないため今日2日間分飲んだりと、薬を飲むことに対する関心は薄れていたろうと思います。確認して飲むということが徹底しているため自分のために良かったのだと思います。治った今は人にうつす可能性がなくなったのでほっとしました。今結核で苦しんでいる人へは早く対応して治して欲しいし、食べるものにも気を付けて欲しいです。国がもっと結核対策の重要性を認識して対処して欲しいと願っております。


「結核を治療し治ったことがきっかけとなり人とのつながりができた」
Hさん(日本)
 2000年4月ころから咳などの症状が出始め、咳が止まらなくなり、熱も出ていたため、レントゲン検査を受けました。その結果、結核であることが分かり入院することになりました。入院中は月1回保健師が面会に来てくださり、退院してからは保健所でDOTSについて説明してくれました。結核になった時は、最初はあまり深刻に考えませんでしたが、同じ入院している人の中で、耐性菌でなかなか治らない人の話を聞き深刻に考えるようになりました。病院にいた時から、先生に治るということを言われており、また仲間の経験などを聞いていたので、きちんと薬は飲んでいました。さらに退院してから保健所に通うことで、生活のリズムができ、生活に張りがでるようになりました。そして最後まで治療を終了することができました。結核を治療し、治ったことがきっかけとなり人とのつながりができたことが一番良かったと思います。今、「もやい」というNGOでスタッフとして活動しており、アパート賃貸契約をする際の保証人の担当をしています。「もやい」は保健所を通じて知りました。また、新宿連絡会の炊き出しの手伝いも1年以上行っています。結核はきちんと治療すれば治るということを広く宣伝して欲しいと願っています。


「結核はなぜうつる病気であるのかという感染経路の知識を広めていった方がよい」
Gさん(日本)
 去年の2月17日に急に立てなくなり、救急車で病院に運ばれました。そして結核だと診断され、入院することになりました。身近に結核で亡くなった人がいたため最初は死ぬ病気だと思っていました。入院中に保健師が来てくださり、結核の説明をしてくれました。治療中に手足のしびれなどの副作用や、点滴や注射が一番大変だと思いましたが、退院後のDOTS治療は、きちんとシステムがあったから薬を飲み忘れることもなく治療を終了することができたと思います。特に、保健師さんが熱心にフォローをして下さったため、私は安心して服薬を続けることができました。治った今は、早く仕事を見つけて自立することを目標としています。今、結核を患っている人には、先生の言うことをよく聞いて、薬を飲みなさいと言いたいです。結核はなぜ移る病気であるのかという感染経路の知識を広めていった方がよいと思います。胸の病気というだけでまだ結核に対する差別がある社会で、結核は恥ずかしい病気ではないということを言いたいです。


「結核は治る病気であり、不治の病ではないということを言いたい」
Kさん(日本)
 池袋の施設にいた時に、顔色が悪いと言われ、病院でレントゲンと喀痰検査を行い、結核と診断され入院することになりました。咳が出ていたことと痰が黄ばんでいること以外は自覚症状はありませんでした。退院後、保健所でDOTS治療を行いましたが、再発してしまいました。2回目に関しては、自分からDOTSで治療したいと希望し、通うことになりました。2回目の治療が長く一番大変だと感じましたが、通うことで自由がきくし、確実に時間がつぶれるため自分に合っていると思いました。また、保健師さんをはじめ人との出会いがあったことが嬉しかったです。治療を終了したことで、病気から解放されたという安堵感を感じています。そして治ったことで何かできるのではないかという気持ちになり、今64歳ですが、就職活動に専念しているところです。他に結核に苦しんでいる人には、結核は治る病気であり、不治の病ではないということを言いたいです。


「DOTS治療のおかげでまた働く気力が出てきました。」
タムサー・ロド(ネパール)
 私の名前はタムサー・ロド(Tamser Lodh)と言います。50歳です。私はネパールのいなかで農業をやっており、家族の大黒柱です。しばらく前から夕方咳と熱が出るようになり、胸の痛みも感じるようになりました。次第に食欲もなくなってしまいました。ある日、咳をしていると、血痰が出たので、驚いてルンビニの保健所に行きました。喀痰検査をするために、日本の結核予防会が支援しているネパール結核予防会(NATA)のバイラワの検査所に行きました。朝の痰を採り、喀痰検査をすると結核であることが分かりました。NATAの保健師が、DOTSクリニックで治療を始めるように勧めてくれました。治療を開始してから、朝になると赤い尿が出たり、胃がもたれたりしましたが、それもだんだん慣れて行きました。8ヵ月の間ずっと続けて抗結核薬を服用しました。今は体調もとても良いですし、また働く気力が出てきました。


Updated 03/03/14