エイズ結核合併症の現状

結核研究所国際協力部国際研修科長  大菅 克知

 18歳のべ口ニ力には、1歳の娘が一人。この子は西ケニアのある村の儀式で、処女であったべ口ニカが乱暴され、生まれた子供です。悲劇はさらに悲劇を生みました。後日べロニカはHIV陽性と診断されたのです。 べロニカを乱暴した男性は、"処女と性交渉を持てば自分のHIVが治る”という、この地に広く伝わる迷信に従ったのです。ベロニカの娘はいずれ母親を失い、東南アフリカに600万ほどいると推定される、エイズ孤児の仲間入りをするでしょう。 ザンビアでは9%、ウガンダでは11%の子供がエイズ孤児とされています。そしてエイズに苦しみ、子供を後に残してこの世を去った親達の多くは、"結核"で亡くなっているのです。
 

HIVは結核の最大の敵
 アフリカでは1980年中ごろまで結核は減少傾向にありました。ところがその後多くの国で増加し始め、現在、ザンビア、ジンバブエ、マラウイなどでは85年の2倍から3倍の結核患者が発生しています。これには人口の増加、患者発見の改善なども寄与してはいますが、70年代から広まったと考えられているHIV感染症の影響が大きいと考えられます。
 そもそも結核菌に感染しても実際に結核という病気を発病するのは、そのうちの10%程度なのですが、体の抵抗力が落ちると結核は発症しやすくなります。高齢者や糖尿病、腎不全、ステロイドなどの薬を使っている患者さんは抵抗力が落ちていますから、冬眠状態の結核菌が目を覚まし、結核を発病しやすいのです。そんな中でエイズ(後天性免疫不全症候群)を引き起こすHIV感染は、結核感染者にとり最大の敵と考えられます。欧米やアフリカでの研究によれば、HIV感染者はHIVに未感染の人より30倍から50倍も結核を発病しやすいとされています。この"火(結核感染)に油(HIV感染)を注ぐ"ような現象が、サハラ砂漠以南のアフリカで現在起こっているのです。

■アジアに迫るエイズ結核の脅威
 悲惨なアフリカの現状はしばしば報道されていますし、最近はようやく国連や各国元首レベルでも感染症対策の話が進んでいるようです。確かにエイズのため老人と孤児しか残っていない村の話や、経済に大きな影響を与え始めているアフリカの現状は深刻です。しかしアフリカだけでしょうか?"火に油を注ぐ"の火種(結核感染)はどこにあるのでしょうか?
 世界人口の3分の1が既に結核に感染していると推定されており、毎年800万人もの人が新たに結核を発症しています。実はこのうちの半分はインド、中国、その他のアジアの国々です。人口の少ないアフリカは実は20%以下に過ぎません。では油にあたるHIV感染はどこで起こっているのでしょう?UNAIDS(国連合同エイズ計画)によれば99年末時点で3,430万人の人がHIVに感染して生活していると推定されていますが、そのうちの3分の2は(2,450万人)サハラ砂漠以南のアフリカです。しかし、毎日16,000人が新たにHIVに感染していると考えられているこのHIV感染は、アフリカにじっとしているわけではありません。アフリカに10年以上遅れ,この瞬間にもHIVはインド、東南アジア、中国をはじめとしたアジアの国々に侵攻しつつあるのです。十分な火種に油が徐々に注がれ大火事が起こる前の状態が、現在のアジアといっても良いでしょう。

■エイズ結核問題は日本には関係ない?
 火に油を注ぐと言っても,火種(結核)のないところに油(HIV)をかけても燃え上がるはずもありません。かなり結核の減少したところに、HIVが入り込んでも結核の爆発的増加は起こらないでしょう。欧米がそれに当てはまります。では日本はどうでしょうか?
 日本は先進国の中で結核の横綱ですが、その結核患者の多くは高齢者です。結核が国民病と言われた昭和20年前後に結核に感染した人達が高齢化し、発病しているからです。火種であるこの高齢者のなかに油のHIVが入り込むか?個人差もあるでしょうから、ここでは"入りにくい"とだけ言っておきましょう。では日本は安全なのでしょうか?結核は過去4年間それまでの減少から増加に転じていることは既にご存じのことでしょう。患者さんを見るとやはり高齢者が多いのは事実ですが、実はもっと心配なのは若い人にも予想以上に多いことです。どのように人から人へ感染しているのか、いまだはっきりとは分かっていませんが、若い人にも火種がくすぶっている事実は見過ごせません。
 一方のHIV感染はというと,薬害エイズ問題が落ち着いてからはほとんど口にも上りません。保健所のエイズ抗体検査を受ける人も激減しているようです。人気テレビドラマも最近はありませんし、若者が読む雑誌にエイズの記事を載せても誰も読みません。人々はエイズに恐ろしく無関心です。しかし若者の性行動の調査にも示されているように、危険な性行動は確実に増えていますし、HIVは確実に広がっているのです。火種である結核に感染している若い人に、油であるHIVが注がれれば、あるいはHIVに感染している若者が結核に暴露されれば、と考えると、HIVと結核が一致する状況が作られさえすれば、日本もエイズ結核問題が問題となりうるのではないでしょうか。

■ エイズ結核に有効な対策はあるのか?
 まずHIV感染者が結核を発病した場合を考えてみましょう。エイズに合併した結核の多くは通常の結核とは異なり、肺外結核や非典型的な臨床像をとると言われますが、X線で上肺野に空洞を伴う典型的な肺結核もあり、実に豊富な臨床像をとることが知られています。治療に関しては副作用が出やすい傾向があると報告されていますが、基本的に通常の短期化学療法が有効であり、世界で取り入れられているDOTSも薦められています。また免疫の低下したエイズ患者は、結核が治療できても他の日和見感染(カリニ肺炎、真菌症、髄膜炎、ウイルス感染など)の治療も重要であり、結核との鑑別も問題となる場合がしばしばあります。
 次に考えられるのは結核に既に感染しているHIV感染者が結核を発症しないためにはどうしたらよいか、ということです。現在世界で試みられている対策の一つはINHを中心とした予防内服です。欧米、中米、アフリカ、タイ等で行われた研究結果を総合すると、結核高まん延国においてINH予防投薬をHIV感染者に行った場合、結核の発病を半減することができるようです。コンプライアンスも70%前後で、費用対効果も悪くなく期待が持てそうです。ただ死亡率に対する効果はそれほどではなく、わずか6ヵ月未満程度の延命効果とされています。この場合最大の問題は、この研究成果を広く実地に移すことを考えた場合、難しいことがたくさんある、ということです。まずHIV感染者を見つけなければなりません。次に結核に感染している確率が高い人で、しかも結核を発病していない人を探し出さなければなりません。発病している人にINHのみの投薬をしてしまったら大変なことになっ てしまうからです。そのほか経済的には恵まれない国がほとんどですから、必要な薬の供給をどうするか、また実際に予防内服を行う場合、6ヵ月間皆まじめに飲むだろうか?といったようなことも気になります。このあたりは実際の研究をさらに重ねる必要がありますが、結核研究所の野内博士夫妻らはタイ北部のチェンライ地方で貴重な研究成果を上げています。
 そもそも結核をもっと減少したらよいのに、と考える方も多いでしょう。そのとおりで、実はそのためにこの古くて新しい病気の対策に、世界中が90年代からDOTSを主軸に新たに取り組み始めているのです。DOTSの効果はお墨付きですが、その広がりが遅く、各国の一層の努力と、日本のような国からの国際協力がますます必要とされています。
 しかしエイズ結核問題の根本的な解決には、やはりHIV感染症に対する取り組みを強化するほかないのではないでしょうか?性行動の多様化、低年齢化によりHIVは我々の身近に迫っています。さらに社会経済の変貌により、社会的弱者は売春を余儀なくされたり、薬物のまん延などHIV感染は困難な社会問題と深く絡み合っています。エイズの治療が途上国を含めて最近の話題となっていますが、私はここでもう一度原点に立ち帰り、HIV感染の予防を強調したいのです。マスメディアを介してではない、狙いを絞った性行動やエイズに対する教育は効果があるようですし、性感染症の治療とカウンセリングの有効性は世界で証明されています。タイでは100%コンドーム政策が功を奏しました。このように結核対策ほどにははっきりした効果が期待できないHIV対策ではありますが、埋もれている小さな成功例を参考に、地味な努力を一層強化する必要があるのではないでしょうか。
 昨年の沖縄サミットでは日本はエイズ、結核、マラリアの3大感染症に取り組むリーダーシップを発揮しました。そのための具体的な国際協力が実施できるよう、日本を含めた世界の国々の人材育成と技術の練磨が今後ますます重要になるでしょう。

参考文献:
結核/HIV一臨床マニュアル,資料と展望
No.21,22,23,24,25,1997
(TB/HIV : A Clinical Manual, 1996 WHO邦訳)
Tuberculosis and AIDS, UNAIDS, October 1997
Tuberculosis and HIV, WHO, SEARO, 1999
Weekly Epidemiological Record, 19 November 1999,
WHO
Report on the global HIV/AIDS epidemic, June 2000,
UNAIDS
Africa's lost generation : Joyce Maxwell 2001


updated  01/12/14