東京都北区保健所の結核ハイリスク検診
〜地域社会の結核認識もアップ〜
北区保健所 保健予防課長 細川 えみ子
北区における結核の状況
1999年7月、わが国においても結核緊急事態宣言がなされた。減り止まっていた全国の結核の新登録患者が98年反転して前年を上回ったのである。東京都では既に80年代半ばに罹患率が横ばいになり(図1)、全国順位は悪化を続け、若年層での山の出現や中高年男性の増勢傾向が見られている。
北区は、その東京の中でも結核罹患率の高い地域である(図2)。罹患率は40台後半で横ばいを示していたが、99年には54.2と増加を始め2000年には58.5にもなり、とうてい看過できる事態ではない。
この要因を探るために、北区の新規登録患者を全国のそれと比較して詳しく分析すると、2000年の罹患率では20歳代と50歳代にピークが見られ、特に50歳代の罹患率は70歳代より高い数値を示している(図3)。
また、社会経済的には患者は低所得者層に集積してきており、北区の2000年の新登録患者193人の中、ホームレスは12人を占め、そのうち2名が入院直後に結核により死亡している。このように重症化してから発見され、ようやく治療に乗っても死亡する例も後を絶たない。
北区に特有の印刷下請け業では、終夜勤専門の日雇いというホームレスすれすれの労働者も多く、サウナやカプセルホテルで宿泊している単身男性も多い。ここ数年はこうした層からの結核の発生が続発し、そうした職場や宿泊場所を対象とした定期外検診がほとんど定期化してしまうような状況すらあった。この3年で定期外検診の実施人数は毎年倍々ゲームのように増え、現在は年間4,000人にもなってきている。
北区保健所では保健予防課結核感染症対策係が、医師の係長を先頭に、専門保健婦4名、放射線技師1名、事務3名の陣容で、専任で結核対策を行っている。このような充実した体制でも、現在の結核発生状況ではフル稼働になってきており、根本的な対策の強化が必要と感じていた。
対策の重点化を
結核患者は社会経済的な下層に集積してきており、この人たちは結核の発見も遅れがちであり、またせっかく治療に結びついても中断などになりやすい人たちである。この層への対策の重点化が求められているが、この不況下の財政危機の中では、新規事業がおいそれと認められる状況にはない。どこの自治体も同じだろうが、事業のスクラップアンドビルドが厳しく求められている。効率の悪い事業から引き上げ、必要な事業に財源を回さなければならない。
北区では定期検診として、区民集団健診の折に検診車による胸部X線間接撮影を実施し、また4ヵ月乳児検診の際に、その母親についても産婦検診と称して胸部X線直接撮影を行っていた。しかし今日の状況では、一般的な症状もない区民への無差別な検診は、発見率も少なく非効率的であることは言を待たない。北区においても、集団検診では2,000人から4,000人に1人の発見率であり、そのコストと手間を考えると既に役割は終えたと言わざるを得ない。また、定期外検診としていわゆる業態者検診も行っていたが、理容・美容・クリーニングの業態者からの患者発見はこの数年皆無という結果であった。
そこでこれまで北区として行ってきた結核検診事業を全面的に見直すこととした。まずは最もローリスクと考えられる産婦への検診を廃止し、またこれまでの形態での業態者検診も廃止した。区民検診における胸部X線撮影は様々な要因から今年度は継続しているが、今後区民検診の実施方法の見直しの中で廃止も含め検討していくつもりである。ただしいまだ結核予防法に定期の住民検診が規定されているので、これを希望する区民について対応できる体制は残さざるを得ない。
それらに替わって新たに始めたのは、重点的なハイリスク者の特定と検診の実施である。今までも区内の日本語学校の結核検診を行ってきていた。日本語学校には外国、特に中国や韓国などからの留学生が多く在学し、母国の結核罹患率が日本より高いために既感染率が高く、その上外国での生活がストレスとなって結核を発症しやすい状況がある。しかし学校当局は、1年未満の教育課程であることから検診を行っておらず、保健所が検診を行うと100人に1人くらいの率で患者が発見される。
また、北区の現状からは、結核に関して最もハイリスクと考えられる。夜勤日雇いなどで日銭の入った日にはサウナに泊まり、金のない日には路上で夜を過ごさざるを得ない住所不定者などに対して、どのような対策が行えるのかが問われていた。そこで現実的には、サウナ・カプセルホテルの従業員と常連客、雀荘・パチンコ屋をはじめとする風俗営業などの従業員、そして路上で生活しているホームレスなどを対象と考えることとした。そこで2000年度から、これらの方たちを対象とした結核ハイリスク検診を開始した。また、学習塾の講師などのデインジャーグループに関する検診もあわせて行った。このような実情に即した結核対策を新たに組むうえで、10割補助の結核対策特別促進事業は大変大きな促進要因として役立った。
そしてハイリスク検診の実施
まずターゲットとして考えたハイリスク層への働きかけから開始した。大きく分けると業態者・日本語学校就学生・ホームレスの3区分になる。
業態者については、普段から定期外検診で付き合っているサウナやカプセルホテル18軒に環境衛生監視員に一緒に回ってもらった。また、深夜営業のスナックやバー41軒については食品衛生監視員からリストをもらい、風俗営業法対象のパチンコ屋24軒と麻雀荘67軒は警察から情報をもらい、そしてデインジャーグループとして学習塾98軒を電話帳で調べてお知らせを郵送した。区内3ヵ所で6日間検診を実施したが、来所者は48人と少なく今後の取り組みに課題を残したが、患者は1名発見されている。
区内に6校ある日本語学校は例年通りに打ち合わせを行い、春と秋に検診車を配車して実施したが、受診した学生761人のうち患者発見は5人といつも通りの効率的な検診となった。
さて、初めて行うホームレス検診である。
ホームレスの方にとっては、結核などの疾病対策だけではあまり役立たず、生活自体の困難性の解決のために福祉事務所の役割が重要である。幸い福祉事務所も、特別区全体としてホームレス問題の根本的な解決のための総合的施策を検討していた折でもあり、相談体制や交通費の支給など非常にスムーズに連携体制を取ることができた。また、現実に区内のどこに居るのか、最も実情を把握している建設管理課や河川公園課の協力も得られ、道路監察係や公園巡視員の方たちにも声掛けやチラシ配りをしてもらった(チラシ参照)。結核感染症係の職員もチラシ配りに歩き、検診当日には互いに名前で声を掛けられるような関係づくりも行うことができた。
その他にも、防災課からは備蓄用の炊き込みご飯の提供を受け、また衣類のリサイクルをしている団体から着替えのための服を提供してもらった。さらに、NPO法人「野宿者人権資料センター」のボランティアの協力やライオンズクラブの寄付などに支えられて、この初めての試みが行われた。こうした準備のためのきめ細かい打ち合わせ会は反省会まで含め8回を数えている。
11月13日朝、当日のスタッフは保健所・福祉事務所・公園巡視員など20人ほどになっていたが、準備も整わないうちから保健所の前にホームレスの方たちが集まり出した。検診は久しぶりだからとお風呂に行って身体をきれいにしてきたという方、貴重な機会だからと仲間を誘ってきた方と、今日の日を楽しみにして下さっていたようである。
ホームレスの方には当日結果をお渡しするということを優先的に考えた。検診の流れとしてはまず受付をし、用意してある服を選んで着替えていただき、それから胸部X線撮影と必要な人には喀痰検査を行い、その後食事をしながらボランティアの方と話したりワーカーによる福祉相談をしている間に結果を出し、最後に医師による結果説明とした。
このようにさまざまな人の善意と協力に支えられて、検診当日は28名の受診で無事に終了した。ホームレスの方の中には、このような人間的な対応に感激する人もいて、ボランティアの方と涙ながらに話し込む方もいた。私たちスタッフにとっても意義深いやりがいのある事業となったのは、喜ばしいことである。
2000年度はこのような検診を2回行い、合計で実数として41人受診し、患者は重症者1人を含め3人発見された。検診での患者発見率は10人に1人のオーダーととても高く、非常に効果的な検診となった。今年度も既に打ち合わせ会を開始しており、事業の重要性の共通理解から各課との協力もスムーズに行われている。
さらなる取り組みへ
この検診の結果、早期に発見され外来治療となった患者2名については、福祉事務所で生活保護を受けることとなったが、問題は治療継続である。検診前から関わってきた保健婦が保健所に来るように誘い、毎日お茶を飲みながら保健婦と話をして薬を飲むという自然発生的DOTが始まった。予算は全くないので職員のお茶くらいしか出せないが、彼らは保健婦との話が楽しみで来てくれるようであった。その後、冬期一時保護施設に入ってからも、週に1回は電車に乗って北区保健所まで顔を見せに来てくれて、服薬の確認もしている。信頼できる保健婦が親身に心配してくれているという意識が、確実な治療継続につながっていることが実感できる。
この他にも結核予防法35条で入院していたホームレスの方で退院後に保健所に通ってくる人も増え、今では保健所のロビーで仲間同士で話したり励まし合ったりするようになった。最初の1人は既に治療を終了し、今年の検診のためのチラシ配りのボランティアもしてくれると意気込んでいる。
また、定期外検診を繰り返してきたあるサウナでは、従業員の結核に対する意識も上がり、受付の人が常連客の中で咳をしている方に保健所に行くよう紹介してくれた。そして保健所に相談に来た住所不定の男性を検診したところ、ガフキー7号でII型の重症結核が発見され、即時入院治療に結びつけることができた。このように、区内のハイリスクグループへの継続的な働きかけが、結果として啓発や意識高揚につながってきており、患者発見の1つのきっかけにもなっている。
保健所における結核対策の目的は、地域における結核のまん延防止であり、そのためには感染症である結核患者の早期発見と確実な治療が鍵である。今回北区保健所が行った結核ハイリスク検診は、結核患者が集積されている社会経済的なハイリスク層に重点を当てた検診事業であり、早期発見治療終了に効果的に結びつけることができたばかりでなく、地域社会の結核への認識を深めさせることにも役立った。今後は地域医療のかなめである医師会や、子供の結核検診に責任を持つ学校などへの働きかけも強め、結核の撲滅へ向けさらに努力していきたい。
受付−早朝から保健所に来所 | 衣類の配布−季節に合わせ必要なものを吟味している | |
健康相談−保健婦が予診、血圧測定を行い、身体の状況をチェック | ボランティアと食事をしながら毎日の生活の大変さを語る |
Updated 01/10/01