−根絶に向けて− |
|
誇るべき我が国の結核対策の歴史
1.世界に誇れる結核予防法
現行の結核予防法は昭和26年に制定され今年で50年を迎えた。戦後の混乱から脱しきれないころ制定された法律であるが、次のような多くの点で誇れるものである。@結核の予防、患者発見、治療のすべての範囲をもれなくカバーし、A国、都道府県、事業主など対策の実施責任を明確に規定し、Eすべての医療機関を巻き込んで診断、治療ができるようにしたこと。さらにCこれらの対策はすべてわが国の研究者が築き上げた学問的事実の上に組み立てられていることも大いに誇ってよい。2.国民の総力を挙げて
昭和26年頃の日本はまだ考えられないほど貧しく、人々は食うこと、住むところ、着るものに苦労していた。こういう状況で国民の30人に1人以上が結核を発病しており、20歳未満の子供・若者だけでも毎年13万人以上(今は816人)が結核になっていたのである。このような状況であったため結核だけで国民総医療費の27%を使っていた。結核予防法が制定されると、それこそ官民総力を挙げて結核に立ち向かったのである。3.世界で最も早かったわが国の結核減少
戦争ですべてを失った日本では、対策を実際に進めるのは大変なことだった。BCG接種は早くから行われていたが、続いて健康診断、治療を全国で実施できるように整備し、昭和37年になって登録、患者管理なども整えられ、予防法で規定したすべての対策が整った。
その後のわが国の結核減少は見事で、図1に見るように新登録患者は6年毎に半分になるスピード、つまり世界で最も早いスピードで減ったのである。結核減少の鈍化と最近の疫学像の変貌
1.昭和52年から結核減少は著明に鈍化
昭和50年代にはわが国は経済的発展を謳歌し、結核の早い減少を見て結核の制圧はそれほど遠い先ではないと誰もが考えた。このままいけば2000年には新登録患者数は8,300人位、罹患率は10万対5.6程度になるものと専門家さえ考えた程である。ところが、その頃から減少は著明に鈍化し、今度は半減に20数年かかるほどになってしまったのである。それから20数年たつが、鈍化したままで依然として回復していない。2.なぜ鈍化したか
対策の手を一つもゆるめていないのになぜ鈍化したか、いろいろ検討されている。大きな理由は、@昭和20年代までのわが国の結核まん延状況はひどく、当時の子供、若者の多くが結核感染を受け、Aこの人たちを中心に国民の高齢化が急速に進み、この年齢層(現在60歳代以上の高齢者)からの発病が絶えないこと、B国の産業構造が変わり、第3次産業が大きくなり、農村の過疎化、都市への人口集中が進んだこと、C昭和40年頃からアルミサッシなどの普及で建物の気密化が進行したため、空気感染がやや起こりやすくなったことなどが主な理由と考えられている。3.結核疫学像の変貌−遍在した結核から、偏在する結核へ
結核減少が鈍化したと言っても、わが国の結核まん延状況は以前に比べれば見違えるほど改善した。既に述べたように0〜19歳の結核はこの44年間で157分の1となっているのである。数の減少だけではない。以前は日本中男でも女でも、若者でも高齢者でも、都市でも農村でも、どこにでも遍く(あまねく)見られた結核は、今では一般にはそれほど見られず、社会的、経済的、肉体的弱者に偏在してきた。この中身をもう少しよく見ると、図2に見るように、いつ、どこで感染するか分からないという状態から、新発生患者の周囲など特定のところに偏在化し、このために大都市の結核の増加や、集団感染や院内感染などの問題が発生している。また結核既感染者が減り、結核の発病も偏在化し、高齢者の結核や免疫低下者の結核などの問題が大きくなっている。つまり、日本の結核は数が著明に減ったと共に、「遍在していた結核から、偏在する結核へ」大きく変貌したのである。
4.現在の結核患者の発病の状況
平成11年には43,818人の患者が新たに登録されたが、これらの患者の発病の様相を知るために計算を試みた。いろいろ検討した結果、おおよその状況は図3に示したように考えられた。つまり、国民の約70%、8,865万人は結核未感染者であり、この中の6.4万人が1年の間に結核に感染していると推定されるが、発病するのは約6,400人である。一方、国民の約30%、3,800万人は結核核既感染者である。ここから870人に1人くらいが毎年発病しているが、全国では約37,000人に上り、発病者の85%はこれら既感染者からの発病者で占められている。
5.現在の結核疫学像のまとめ
第一に言えることは、結核予防法が制定された昭和26年頃に比べて結核患者の数が激減したことである。昭和37年の年齢階級別新登録患者数と比較すると、図4に見るように現在の新登録患者数は当時の0〜14歳の小児結核の数より少ないのである。全体としての数は減ったが、患者は偏在化し、例えばに図5に見るように一部の保健所管内の結核罹患率は途上国より高いし、結核の感染、発病が偏在化したため、一般的には少なくなった結核の感染、発病も、特定のグループにおいては今でも先進国では考えられないほど高率なのである。
疫学的状況が変われば対策も変わる
1.結核対策の原則は変わらない
結核が多くても少なくても、偏在していても偏在化しても、結核対策の基本は変わらないことは言うまでもない。感染を防ぎ、発病を防ぎ、発病した人を治すことである。従って、結核まん延状況がどうなろうとも、これらのすべてが非常によく組み込まれている現行の結核予防法を改訂する必要はないという考えもある。確かにその通りであるが、このままでいれば、効率が悪く無駄が多いのである。対策に従事する人から見れば、一生懸命仕事をしてもあまり効果が上がらないという悩みもある。2.状況が変われば対策の重点は変わる
結核が遍く広がっていた頃は、全国民を対象にし、すべての対策を進めなければならなかった。しかし今では結核の感染も発病も偏在化し、さまざまな格差が大きくなっているので、リスクの高いところに眼点を置いて対策を進め、一方、リスクが小さいところでは集団的アプローチから個別的アプローチに変えた方が、対策を受ける側にも実施する側にも受け入れやすいだろう。3.この50年間の学問の進歩は目覚ましい
その上、結核予防法ができた当時と比べれば、この50年間の学問の進歩は著しい。化学療法で言えば、結核菌の増殖を抑えることしかできなかった抗結核薬が、今では結核菌を殺菌できるようになった。このため短期化学療法、短期入院が可能となったし、治療完了者のフォローアップも、保健所の管理検診から主治医に任せる方向で検討してよいのかもしれない。治療方法で言えば、世界中での広範な研究の結果、途上国では「DOTS政策」が熱心に進められているが、わが国では米国など先進国が実施しているようにDOT(監視下の服薬、または対面服薬指導)をもっと導入してもよいだろう。患者発見方策、BCG接種政策などについても、世界中での研究の結果、今では考え方が大きく変わってきている。4.世界の現在の結核対策
結核対策技術の進歩と疫学的な考え方の発展に伴い、世界的に見ると結核対策の考え方も大きく変わった。以前はBCG接種による予防に最重点が置かれ、費用、施設、人手が多くかかる治療は後回しにされがちだったが、今では世界中で「発見した菌陽性患者を確実に治すこと」が最重点とされ、これがうまくいけば感染も防げるので「結核の予防」にも最も有効と考えられるようになった。対策の重点の逆転である。特に結核が少なくなった欧米先進国では、「古典的な結核対策」から大きく脱皮していると言ってよい。5.結核対策改正の困難性
疫学像の変貌に合わせて結核対策改正の必要性が分かっても、実際に改正しようとすると大変な困難に直面する。@結核対策は非常に広範、しかも公衆衛生対策のモデルであり簡単には変えられない。A昭和52年まで見事な成果を上げてきており、今でも世界で最も優れた対策と考える人が少なくない。BBCG接種や集団検診はわが国の公衆衛生対策の原点であり、これを安直に改正することは許されない。C改正によって1人の犠牲者が出ることも許されない。D効率が悪いことは認めるが、費用を節減するより安全を見る方が重要だ。E今まで国民のことを考え頑張ってきたのに、急に政策を変えられては困る、などなど。結核予防法の改正は決して容易なことではない。今こそ見直しが必要
1.順調に減少する諸外国
米国は1980年代に結核減少が停滞しその後増加に転じたが、80年代後半から結核対策の全面的な見直し、強化を行い、93年からは減少に転じている。93年以後の年間減少率は7.7%で、わが国の3.1%よりはるかに速いスピードで減少している。戦後わが国と同様に困難に直面したドイツは、さまざまな政治・経済・社会的問題を抱えていたにもかかわらず順調に減少し続け、罹患率は10万対12でわが国よりはるかに低い。お隣りの韓国では87年まで罹患率が200を超え高まん延に苦しんでいたが、以後減少の速度を速め、99年には10万対52となっている。このままいけば2015年には日本は韓国に追い抜かれる。2.今こそ見直しを
結核対策の見直しは大変な難事業であるが今こそ改革が必要である。@現在でも先進国では最下位グループにいるのに、最近の減少速度は先進国で遅い方である。Aこのため、このままでいけば2015年には韓国にも追い抜かれてしまう。B結核予防法の大改正から50年を経て、疫学的状況に合わない点も少なくない。そして、C現在の対策は世界の趨勢から離れている点も少なくない、などのためである。
結核予防会は今こそ初心に戻り、わが国の結核根絶に向けて頑張りたい。
Updated 01/10/09