国際人口移動に関する研究
研究枠内
厚生労働科学エイズ対策研究石川班「アジア太平洋地域における国際人口移動から見た危機管理としてのHIV等感染症対策に関する研究」(平成15-17年度)石川、野内、吉山分
研究目的
本研究は、アジア太平洋地域においてHIV感染症に対する国際人口移動の影響の検証と、結核を入り口としたHIV流行の実態把握を通じ、今後の危機管理政策への提言を模索することを目的としている。
研究方法
具体的に3項目に沿って3年間の研究を進めている。
1.在日外国人のHIV感染に関する研究; 1.1 外国人人口推計:法務省による出入国管理統計資料を用いて、入国年別、出身国別、入国後滞在年数別に推計する。
1.2 母国の成人HIV感染率と1.1で求めた推計人口を掛け合わせ、在日外国人のHIV推定患者数を計算する。1.3 エイズサーベイランス等の患者情報より実際に診療されている患者数と上記推定HIV患者数との比を特にエイズ合併結核に関して、患者発見方法の情報を用いて解釈する。
1.4 結核問題とリンクしたエイズ対策について検討する。
2.アジア太平洋地域のHIV疫学と人口移動に関する研究: 2.1 タイ:ミャンマーとの国境問題をエイズと結核コホートを活用して治療脱落率・薬剤耐性頻度の国籍比較より推定する。2.2 カンボジア:国家結核プログラムに登録された全国結核患者中のHIV感染率査と分子疫学手法も併用して国境問題を分析する。
2.3 他に重要な中国等の国々に関して、タイ、カンボジア事例の応用性を検討する。2.4旧島尾班の成果であるジェンダー分析の国際人口移動・危機管理分野での応用する。2.5
近隣HIV蔓延国への日本人渡航者のHIV及び結核の感染リスクの検討する。
3.政策分析と提言;3.1 先進国のエイズ、結核等感染症の移民対策、危機管理(アメリカ・カナダ型、イギリス・ヨーロッパ諸国型)政策分析、重症急性呼吸器症候群(SARS)による危機管理体制の変化の動向。3.2 日本の感染症危機管理体制の現状を踏まえたHIV等感染症の国際人口移動に関連した政策提言の作成。
研究結果
1.1-1.2で実施した単純推計では、
年末現在国別登録外国人数から得た2001年末滞在者数は、南アメリカ地域、東南アジア・南アジア地域、中東・北アフリカ地域、サハラ以南アフリカ地域からそれぞれ329,510名、286,417名、11,528名、6,860名であった。これらとHIV有病率の積により推計された
在日外国人におけるHIV点粗感染者数は合計2,322人であり、内訳は地域別に南アメリカ地域が709人、東南アジア・南アジア地域が1,128人と多くを占めた。サハラ以南アフリカ地域は入国者数が少ないのに比してHIV有病率が高いために472人と推計され、中東・北アフリカ地域が12人であった。2.2で、カンボジアの1ヶ月の新規登録結核患者2,270 症例のうち、2,240(97.8%)の患者より血清が採取され、HIV陽性率は11.8%であった。ロジスティック分析では、HIV陽性に対する独立した相関因子は、居住地がタイ国境の県 (調整オッズ比(AOR)=1.92,
95%信頼区間(CI)1.31-2.79)、沿岸地域
(AOR=2.47,95%CI:1.44-4.21), プノンペン市 (AOR=4.63,
95%CI:2.12-6.87), 年齢25〜34 才 (AOR=6.73, 95%CI:3.52-12.88), 塗沫陰性肺結核
(AOR=2.55, 95%CI:1.77-3.67), 肺外結核(AOR=1.99, 95%CI:1.36-2.91)と西部国境と海岸部からの国際人口移動の影響が示唆された。このHIVの分子疫学分析よりタイ由来の蔓延が起きている事を明示した。3.1.では、本年はシンガポールのHIV対策とSARS対策の対比を事例として、政治学における「政治危機への対応」モデルのうちでも最も代表的なグラハムの対応モデルを適用し、政府の危機に対する政策の要因に関する質的研究を行った。その結果、感染症危機管理政策において、特に政府の危機に対する認識という要因の重要性が示唆された。シンガポール政府により「危機」と認識されるにはいずれも「公衆に対する危機」であることが条件になっていた事が判明した。SARS及び HIV対策に関する文書を分析してみると、明らかにSARSは公衆―すなわちシンガポール国民にとって脅威だと理解されているのが解るが、対照的にHIV感染症は一般的な社会問題あるいは個人問題であり、国民が力を合わせて対処するべき国家問題とは捉えられていないことが示唆されていた。事実、「危機」と認知されたSARSに対する対応は迅速でありかつ効果的だとされ、各国のメディアに取り上げられ、賞賛された。しかし国家危機と認知されなかったHIV感染症に対する政策にはSARS政策であったような最前線にての積極的な政府の活動も目立たず、政府として最低限の責任を果たす以外は非政府組織に頼っていると思われた。
結核対策への貢献
1.1-1.2で算出されたHIV粗感染者数の推計だけから我が国のHIV感染症の疫学的危険因子として、在日外国人におけるHIV感染者のリスク行動が有意であると結論付けることは難しい。しかし、地域別、国別感染者数の違い、また年齢階級別人口内訳の分析の結果は、外国人国際人口移動の影響を踏まえた感染拡大の防止・対策を実施することの重要性を示唆するものと考えられた。より正確で現実的な推計のためには、@出入国統計から年齢階級別に不法滞在者や不詳出国者数を正しく換算した在日外国人滞在者数、A各国地域別・職業別の在日外国人滞在者数とHIV感染者数、B年齢階級別のHIV有病率などを用いることが望ましいと考えられた。2.2では、カンボジアにおける結核患者のHIV陽性率は高い。しかし、居住地の県によりばらつきがあり、高い地域ではタイ由来の蔓延による人口移動の影響が示唆され、結核治療の転帰にも影響している。モニタリングの継続は不可欠であり、地域的な差異は結核・HIV対策と計画の立案の時点で考慮されるべきである。3.1.では、シンガポール政府がある出来事に対し危機管理政策に踏み切るには、まずそれを危機だと認知することが必要であり、政府が理解する「危機」の基準とはその出来事が社会的、経済的に公衆に対する危機であることが本研究によって判明した。しかし、SARS流行と比較してHIV感染症蔓延のほうが圧倒的に疾病負担は大きく、人口や経済を含めた長期的な社会全体に対する負担も大きいはずである。従って政府の危機管理政策を左右する認知要因、政府の「公衆」の定義、すなわちどのような人間がHIV感染のリスク、そしてどの様な人間がSARS関連コロナウイルス感染のリスクがあると認知されているのか、を追及する研究が更に必要であると思われた。今後の展望について、上記の様に研究班の進行は3年間の計画通りであるが、併せて平成16年7月の国際エイズ学会(演題発表、日本政府主催のブースとサテライト会議)、平成17年第7回アジア太平洋エイズ会議等にて、主催者と協調して本テーマに関するワークショップ等を開催してフィードバックを得て内容を深める。結核を入り口として、HIV疫学と対策に貢献したい。