イエメンにおける結核移動セミナー

平成11年1月31日・2月1日

結核研究所国際協力部長

下内 昭

 

 イエメンに対しては、JICA(国際協力事業団)を通して1983年から国家結核対策支援がなされている。これまで、サナア、ホデイダ、タイズの3都市に結核センターを建設し、結核の専門家を結核研究所の国際研修などで養成し、さらに長期、短期に専門家を派遺して国家結核対策の確立に協力してきた。これからは、さらに全国にDOTS(直接監視下短期化学療法)を拡大することが最大の課題である。そこで、今回は国の南部の中心地であるアデンおよびその地域の県のDOTSを強化するために、二つのセミナーを開催した。一つはアデンの開業医のためのセミナーであり、もう一つはアデンとその隣りに接するラハジとアビヤン州の区レベルの結核担当官の会議をそれぞれ、平成11年1月31日と2月1日に丸一日ずつ開催した。
 アデンはアラビア半島の先で、紅海とアラビア海に面しており、夏は非常に暑いところである。今回の滞在では少し冷房をいれることもあったが、昼間でも湿気は少なく、夜の気温は20〜23度ぐらいで過ごしやすかった。また、一時イギリスの植民地であったこともあり、古い建物にその面影を残している。詩人のランボーが過ごした家も残っている。

開業医のためのセミナー
 アデンは南北統一前の旧(南)イエメン共和国時代には首都であり、大学もあり、教育のレベルも高い町である。ただし、どの郁市にも共通の問題は、開業医が結核患者を登録せずに自分流に治療して、標準治療を実施していないことである。今回の目的は開業医に結核の登録や標準治療、検査方法などを説明し、政府の保健スタッフと協力して、受け持ちの患者にDOTSを実施してもらうことである。アデンには100人を超す開業医がいる。そのすべてが午前中は政府の医療機関で働き、午後に自分の事務所で開業する。従って国立病院の内科専門医も含まれている。
 セミナーの講義は、筆者が「結核の基礎知識」、「世界の結核」を受け持ち、あとは公衆衛生省の結核対策課長が「国家結核対策」、「結核の治療」、アデンの結核担当官が「DOTS」、「記録と報告」などを行った。参加者は19人だけであったが、活発な質問が相次いだ。
 ところで、イエメンの女性は看護婦さんでも黒いベールをつけていることが多いが、アデンは国の中でも比較的自由な雰囲気があり、参加した女性7、8人のうち、ベールをつけていたのは1人だけで、女性も活発に質問をしていた。セミナーが終わってからは、それぞれDOTを開始する予定である。

区レベル結核担当官合同セミナー
 参加者はアデン、ラハジ、アビヤン3州の区レベル結核担当官と、各州3人の結核担当官であった(参加者の中で女性は1人だけであった)。さらにアデンの保健局長とプライマリーヘルスケア部長、ラハジの保健局長も来賓として出席した。特にラハジの保健局長は議論にも活発に参加して意見を述べた。この合同セミナーの目的は、アデンでDOTSが成功しているものの、その周辺州であるアビヤン、ラハジ州では、まだDOTSが十分浸透していないこと、また、この2州に住む多くの患者がアデンで医療を受けていることから、2州でのDOTSを推進することと、患者の紹介や転出・転入の方法を調整することである。
区レベル合同セミナー
グループワークでお互いの 治療結果を評価している。
アデン保健局長の挨拶のあと、筆者がJICAの過去の協力内容を紹介、DOTSの重要性を強調した。そのあと、国家結核対策の概要、3州での結核対策の進捗状況の報告がなされた。そして実際に1998年の第1四半期の治療結果を結核登録表を互いに調べあって計算した。その結果、新塗抹陽性患者の治癒率は予想どおりアデンが一番良く91%、ラハジが77%、アビアンが一番悪く42%であった(ちなみに日本の新塗抹陽性患者の治療成功率は約80%である)。これには、州政府のやる気が最も影響しており、特にアデンでは結核担当官が毎週治療結果をチェックし、治療中断者は家庭訪問して治療継続を勧めている結果である。ただ、アデンの病院を退院した患者がラハジ、アビアンに帰った場合、8割以上が治療を中断してしまっていることが、今回、互いの登録表を比較して明らかになった。今後は、アデンで診断されれば、同じ治療が自分の町の病院でも受けられることを、患者にただちに説得して紹介することにした。それができなくても、転出票を必ず患者に渡すことと、結核担当官同士で必ず電話やファックスで確認するようにした。半年後、1年後に治療成績が向上していることを期待している。


Updated 99/07/16