大都市における結核問題


結核研究所 医学科長 星野 斉之


IUATLD年次会議から
平成8年10月2〜5日/パリ

 平成8年10月に IUATLD(国際結核肺疾患予防連合)主催の国際会議に参加しましたので、その中からシンポジウム「大都市における結核」 について報告します。
 都市化という現象は先進国のみならず、途上国においても急速に進行しており、都市化により生じる健康問題は近年ますます大きな課題の一つとなってきました。 結核もその例外ではありません。このシンポジウムでは以下の3点について、発表および討議が行われました。
@都市化という現象下における結核の蔓延状況と、都市化が結核に与える影響の分析。
A先進国および途上国における都市地域の結核対策の事例紹介。
B現状における問題点の整理と今後検討すべき方策の検討。

都市化した地域の結核蔓延状況


 まず、カナダのMenzies氏が、世界的にみた都市化の現状と都市化した地域の結核蔓延状況について、米国およびカナダの都市部を例に挙げて報告しました。 人口の過度の集中による都市の形成は、今から約50年ほど前から始まり、今日では世界人口の45%が都市地域に居住しています。 そして、先進国ではドーナッツ化現象により都市の中央部に問題が生じているのに対し、途上国では都市周辺地域における衛生環境の低下が 大きな問題となっていることが指摘されました。米国においては、80年代以降都市地域における結核の罹患率(全結核、再発、小児結核、肺外結核)が他地域に比較して2倍から3倍の値を示しており、 特にニューヨーク市は米国平均の4倍(黒人居住区であるハーレムでは20倍)を示しています。また、薬剤耐性結核やHIV陽性結核患者の頻度が高いことも示されました。
 次に、ブラジルの Hijar氏が、都市において結核対策が難しくなる要因として、人口密度の増加による高い感染危険率、急速な人口流入による居住環境および衛生環境の悪化による結核発病の促進、 結核蔓延国からの移民流入による結核罹患率の増加、住所を頻繁に変える人々やホームレスの増加による治療完了率の低下により生じる薬剤耐性結核の増加、 麻薬等の薬物使用に関連するHIV感染の増加、人口の急増に対応できない保健医療供給体制、長期化する世界的不況の影響などを挙げました。

先進国の都市地域の結核対策


 次に、先進国における都市地域の結核対策の事例として、まず英国の Moore-Gillon氏から報告がありました。同氏がかかわっている英国のハクニーでは、海外からの移民が住民の4割近くを占めており、 彼らには保健医療サービスが届きにくく、結核罹患率増加の要因になっています。結核の診断および治療のサービスを、それらの移民に届けさせるためのいくつかの試みが紹介されました。
@地域の共同社会(少数民族を単位とする共同体、同じ保護施設の利用者、薬物常用者、老人など)を活用した広報活動や看護チーム作りなどを促進する。
A移民に対する母国語による電話相談。
B保健医療従事者による直接監視下治療法。
C対象者の母国語に翻訳された各種パンフレットの活用。
D医療人類学者を交えた事例検討。

北京市の結核対策


 次に、途上国における取り組みの事例として、中国の Zhang氏より北京市における結核対策の事例が報告されました。北京市は人口約千百万を抱える大都市です。 同地域の1977年における治療完了率は38%でしたが、次年度からモデル地区で開始した直接監視下治療法により、翌年には治療完了率は99%まで改善しました。 その後対象地域を拡大し、1994年には北京市の全域について菌陽性患者の治癒率93%を記録しました。それと同時に、 薬剤耐性の頻度も低下傾向を示しました。同氏は成功の要因として、改革へ向けての強い意志と保守的な姿勢の打破を挙げました。 その他の要因では、同市の社会学的背景、国家結核対策との連携、確立された保健医療体制、私的医療機関が存在しないこと、北京市政府からの継続的な支援などを挙げました。 しかし、周辺地域からの人口流入による結核対策への悪影響が懸念されています。近年だけでも350万人が結核有病率の高い他県から北京市に流入し、 それらの移住者からの結核が北京市全登録患者の3割近くを占めるほどになりました。その患者群では脱落率が高く(54%)、 喀痰陰性化率も低い(25%)という状況です。また、同市の農村地帯における私的医療機関の開設や、HIV感染例(1985年の第一例の報告から、今日までに計122例が報告されている) も散見されるようになり、北京市は都市化の進行による新たな課題に早晩立ち向かわなければならない運命にあるようです。

今後の課題

 最後に、オランダの Bosman氏が、都市地域の結核対策における今後の課題を示しました。検査体制について検討が必要な分野として、 顕微鏡による菌検査サービスの地方分散化、蛍光法の導入、喀痰検査の精度向上と迅速化、胸部X線によるスクリーニングの導入、喀痰検査の精度管理を挙げました。 また、結核の患者管理面における検討課題として、病院施設の外来診療部における直接監視下治療法(毎日法と間欠投与法)、菌陰性患者に対する非直接監視下治療法による服薬管理、 合剤(特に3剤合剤)やブリスターパックの使用の検討、私的医療機関との連携と協力の必要性などを指摘しました。
 その後、質疑応答に移りました。まず、北京市における短期化学療法導入後の治療状況と患者管理方法の研修内容について質問がありました。 同市では6ヶ月の短期療法を導入中です。また、直接監視下治療法に関する研修内容については、既に成功した地域の保健医療従事者との体験交流が効果を上げているようです。 香港やフィリピンの参加者からは、直接監視下治療法の経済的効率性やそれを末端の機関まで広げることの困難性が指摘されました。 英国の事例については、不法滞在者やホームレスへの対策について質疑応答があり、問題を抱える集団とかかわりのある社会共同体を対策に巻き込むことの重要性が強調されました。 ニューヨーク市の事例について、適切な対策をとっていれば、近年に経験した結核再燃は避けられたのではないかとの指摘があり、 行政の責任やHIVの影響などについて討議されました。同シンポジウムは、予定時間を少々超えましたが、盛況のうちに終了しました。


Updated 99/07/16