薬剤耐性結核
複十字病院外来科長 尾形 英雄
はじめに
6月の札幌での結核病学会開催中、仙台市内の病院で多剤耐性結核の集団感染事件に関連して一人の若い看護婦さんが死亡したというショッキングなニュースが報じられました。筆者はこの学会で、八王子市で起こったわが国初めての多剤耐性結核集団感染事件を報告した後であり、感慨深いものがありました。
というのも、こうした多剤耐性結核の病院内集団感染事件は米国で6〜7年前から頻発し、多数のエイズ患者や病院職員が死亡し社会問題化しており、こうした事件が日本でもいつか起こるのでという危惧を、多くの専門家が述べていたからです。
抗結核薬の効かない薬剤耐性結核は、最近発生したような疾病ではなく、かねてより結核医療が抱える難題でしたが、こうした集団感染事件の発生を契機に注目され始めました。
薬剤耐性結核菌の中でもINHとRFPという最強力な抗結核薬がいずれも効かなくなった結核菌は治療困難であるため、これによる結核症を多剤耐性結核と呼んでいます。 ここでは、薬剤耐性結核菌がどのようにして生まれるか、その機序と最近の研究の進歩、更に多剤耐性結核の対策について述べてみます。
薬剤耐性とは
表1 各薬剤に対する |
今から50年以上前、米国のWaksmanが、鶏の砂嚢から放線菌を分離し、これから初めての抗結核薬ストレプトマイシン(以下SM)を分離しました。 SMはその登場によって従来の治療を変革するエポックメイキングな薬となりましたが、結核問題は終わりませんでした。これを多量排菌する肺結核患者に用いると、最初は症状・X線像とも改善しますが、数カ月すると再び悪化する現象が観察されるからです。
まもなく、これはSM耐性結核菌が生まれるためと判明します。最近、MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)やVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)など一般細菌の耐性が話題になっていますが、結核の化学療法は、その黎明期から菌の薬剤耐性との闘いだったのです。
ところで人類と結核菌とのつき合いは、少なくとも1万年以上前の石器時代に遡ることがわかっています。この間結核菌は、常に人間の免疫力と戦い続けた結果、自己の生存に最も適した遺伝子構造となったはずです。
こうした正統派の結核菌(感性菌)の遺伝子には、抗結核薬は有効ですが、耐性に関係した遺伝子部位の複製にミスした結核菌が少数生まれる機会があります。昔ならこの少数の結核菌は、耐性を獲得しても何の役にもたたず、増殖能力に優れた正統派結核菌との生存競争に負けて死に絶えます。
しかし、人類は抗結核薬を手にした瞬間に、この少数派結核菌に活躍の場を与えてしまいました。患者にSMが使われると感性菌は急速に減少し病状が改善します。しかし、この少数のSM耐性菌は、感性菌に代わって充分な栄養と酸素を得て急速に増え、数カ月後には患者の病状を悪化させます。
SM単独治療で失敗した肺結核患者の空洞内では、こうした現象(fall and rise phenomenon)が起こっていたのです。
SM以後開発された抗結核薬も、ことごとく結核菌の耐性化を免れません。耐性結核菌は人類の知恵が産みだした鬼っ子ともいえます。
ではどのような治療法が、結核菌の薬剤耐性を打ち破り今日の薬剤治療を確立させたのでしょうか。決め手となったアイデアは、SM・INH・
PASという当時の主要な抗結核薬を同時併用するいわゆる3者併用療法でした。 単剤では耐性化しても、同時に複数の抗結核薬を使うと耐性化は起こりづらいことが判ったのです。薬の内容は当時と違いますが、今も多剤併用療法が、結核治療の大原則です。このアイデアは、結核の分野に止まらず、がんの化学療法や最新のエイズ治療の場にも生かされています。
元々は経験的に編み出された多剤併用療法ですが、現在ではこれを理論的に説明できる以下のセオリーが挙げられています。 @結核菌の各薬剤に対する耐性は、一定の確率(表1)で起こる突然変異に基づく
Aこの場合系統の異なる薬剤間では耐性となる確率が独立する。これを実際の結核治療に当てはめて説明してみます。 表1においてRFPは、108個の結核菌集団がいると、そのうち1個ぐらいはRFP耐性菌が生まれていることを示します。 肺結核患者の空洞病変には108個程度の菌がいるので、RFPを単独で用いれば、いずれRFP耐性菌のみが選択され増殖してしまいます。 しかしこれにINHを併用してやると、108×106=1014 の菌量がないかぎり、RFP・INH両剤とも効かない菌は生まれない勘定なので、まず治療は成功します。
更にSMを加えた標準化療なら、108×106×106=1020 の菌量がないかぎり3薬剤耐性菌は存在せず、患者は順調に快方に向かいます。治療開始して数カ月すれば菌量が減り耐性化の危険も減るので、これにあわせて薬剤数の削減ができます。
ただし、系統の異なる薬の組み合わせが併用薬剤の原則で、同じアミノグリコシド系に含まれるSM・KM・CPM・EVMなどを同時に使っても、耐性化防止にはなりません。
このように結核治療では単独治療は禁忌となりますが、化学予防は例外的に1剤(主としてINH)です。これは、マル初の患者の体内結核菌量は少なく、従って耐性化の危険性がないと考えられているからです。
薬剤感受性試験とその信頼性
耐性のない感性結核菌患者であれば医療基準に従って、多剤併用療法をすれば失敗はありません。しかし、日本では過去に治療歴のある既治療患者の3人に1人が、一度も治療歴のない未治療患者でも20人に1人は主要な抗結核薬に耐性を持っています。
もし、時に遭遇するSM・INHの両剤耐性菌にSM・INH・RFP治療を行えば、RFP単独治療を行うのと丁度同じことになります。多量排菌者ならば、確実にRFPも耐性化してしまうでしょう。多剤耐性結核や慢性持続排菌者となる原因の一つは、既に耐性菌感染であることを知らずに治療して、残りの感性薬剤を雪だるま式に次々耐性化させてしまうことです。
そこで結核治療では、菌の耐性を調べる薬剤感受性試験が必須となります。
薬剤感受性試験は、各薬剤を含んだ培地に患者の結核菌液をまき、菌の発育がなければ感性、あればその薬剤に耐性と判定します。原理は単純ですが、世界各国で様々な方法が考案され判定方法も統一されていません。わが国では、普通法かマイクロタイター法のどちらかの方法で行われています。
マイクロタイター法は、普通法に比べ判定までの時間が短く、人手やスペースも少なくてすむため市中の検査センターの多くが採用しています。しかし、薬剤感受性試験はどの方法をとっても精度管理の難しい検査で、実施する施設によって正確度が大きくばらつきます。
更にマイクロタイター法は、普通法より耐性の過大評価つまり感性結核菌を耐性菌と判定する間違いが多いことが判っています。薬剤感受性試験は、治癒というゴールに到着するための地図のようなものです。
もし、間違った地図を手にすれば、いつまでたってもゴールに着きません。薬剤感受性試験の結果に従って治療しても、いつまでも排菌が停止しないなら、その検査結果を疑ってみることも必要です。
薬剤耐性遺伝子の研究
表2 各薬剤の耐性遺伝子 |
結核菌は他の細菌と比べて格段に発育が遅く、その培養には3〜8週間かかります。従来の薬剤感受性試験は、患者の検体から分離培養した菌をもちいるため、検査成績のでるのは数カ月後となるのが普通です。
これでは最も大切な治療初期に情報が得られないので、耐性菌患者だった場合、最適な治療を選択できませんでした。多剤耐性結核が社会問題化した米国では、臨床サイドから従来の感受性試験に代わる迅速な耐性菌検査法が強く求められました。この要請に応えて、
1992年頃から結核菌の耐性遺伝子構造を分子遺伝学的な手法で解析して、その変異から耐性を確認する研究が続々と報告されるようになりました。 今日までに主要5薬剤とニューキノロン剤について耐性遺伝子(表2)が解明され、一部で臨床応用も行われています。たとえば、RFP耐性菌の
90〜95%にrpoB の変異があるので、核酸増幅法などの手技を駆使して患者結核菌の変異がわかればRFP耐性菌として迅速に対処することが可能となりました。
残念ながらRFP以外の薬剤では、既知の耐性遺伝子に変異のない耐性菌株が多数確認され、別に未知の耐性遺伝子があることが予想されています。この分野の研究は、薬剤耐性が詳細に解明され、全く新たな治療法が開発される可能性を秘めています。
ただし、耐性遺伝子による耐性検査法は今後臨床応用が進んでも、費やされるコストや労力が高すぎて、従来の薬剤感受性試験をこちらに全面的に切り替えるには至らないでしょう。
日本の耐性頻度の推移
表3 日本の未治療耐性の頻度(療研) |
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表4 日本の既治療耐性の頻度の推移 |
日本の耐性頻度の実態は、結核療法研究協議会(療研)が5年ごとに実施している全国調査からうかがえます。その未治療耐性(過去に結核化療歴のない患者)の頻度は、表3にあるように決して高くないし上昇傾向もみられません。
しかし、数パーセントとはいえ最重要薬剤であるINHやRFP耐性が含まれるので、未治療患者でも必ず一度は薬剤感受性試験を行って耐性の有無を確認すべきでしょう。
未治療の場合と違って、一度でも抗結核薬を服用した患者では、再度治療を開始する時、耐性結核の頻度が高いことはよく知られています。この場合は治療前の薬剤感受性試験は必須ですし、治療開始後も月1回は行うことが望まれます。
表4の既治療耐性頻度をみると、1剤に耐性ありの頻度は5年ごとの調査でゆっくりと低下してきています。この表にはありませんが、既治療例のうちINHとRFP両剤に耐性のある多剤耐性結核の頻度は10%程度で、日本では今のところ増加傾向はみられません。
しかし、近年欧米各国から相次いで、自国の未治療・既治療耐性頻度の上昇と多剤耐性患者の増加が報告されています。今年は療研が5年ごとに行っている耐性頻度の全国調査の年に当たるので、その結果が注目されます。
多剤耐性結核
表5 米国における多剤耐性結核菌による |
INH・RFPに耐性のある多剤耐性結核は、その多くがSMやEBなど他の抗結核薬にも耐性を示すため難治性です。この菌による集団感染事件(表5)は病院・医療施設の院内感染としておこり、患者の約90 %は結核免疫の落ちたHIV感染者ですが、少数のHIV感染のない医療関係者からも発病があったようです。診断から死亡までの平均期間が4〜16週で死亡率が80 %以上に及ぶなど、従来の結核死の常識と著しく異なることから、HIVとの重複感染の影響が濃い病態のようです。こうした集団感染事件の感染源となったのは、不完全な結核治療を繰り返して多剤耐性化した慢性持続排菌者(HIV非感染者)とされています。
医療費の高い米国では、結核患者の入院期間を感染性のある治療開始後2週間までに止め、その後は外来治療に移行するのが一般的です。この外来治療の管理が不十分であったため、大都市のホームレスなど治療意欲の少ない患者が何度も治療脱落をくり返した末に多剤耐性結核になったと考えられます。
米国ではこの反省から、服薬が不確実な患者の治療管理にDOTS(Directly
obserbed treatment, short course )を積極的に取り入れました。これはPZAを含む6カ月短期化学療法を、治療が完了するまで医療関係者の目の前で患者に薬を服用させるアイデアです。
実際の運用としては、患者の住むスラム街に診療所を設け、通院服薬する患者には食事券などの恩恵を与え、通院不能な患者にはスタッフが自宅を訪問して服薬させるなど思い切った手段を採ってきました。
この結果、治療完了率が1992年の77%から93年には 82%に改善し、一時増加した結核患者数も再び低下してきたと報告されています。
またWHOも、DOTSが中国で画期的な成果をおさめたことから、これを多剤耐性結核を含めた結核対策の基本戦略と位置づけています。
米国やWHOの戦略は、完全服薬によって薬剤耐性結核を減らし、その結果多剤耐性結核の出現を予防することにあります。 予防面を優先する背景には、この20年間既存の抗結核薬を凌ぐ新薬が生まれず、多剤耐性となった患者の治療に進歩がみられないためです。
多剤耐性結核の化学療法は未使用薬を3剤以上選び、これにニューキノロン剤を加えるのが基本です。外科治療が可能なら治療開始時から企画し、化学療法によって菌量の減った2〜3カ月目に手術を実施するのが理想的です。
こうした治療により排菌が停止しても、陰性化後1.5〜2年服薬を継続するなど、治癒のため患者は多大な努力を払わなければなりません。
今の所、日本ではこの疾病の増加傾向はありませんが、結核への関心が急速に低下し、HIV陽性者が徐々に増加しているなど、米国の歩んだ道を追いかけてきました。そして、ついに多剤耐性結核の院内集団感染事件が起こりました。この事件の概要はまだ十分判りませんが、筆者の経験した多剤耐性集団感染事件では、感染源患者の主治医が保健所に発生届け出さずに治療していました。多剤耐性結核は、その国の結核対策のほころびから生まれると指摘されています。こうした事件を契機に、これまでの結核対策を見直す時期に来たのかもしれません。