○都市の病理としての結核
1996年の国際結核肺疾患予防連合年次総会で、「大都市の結核」がシンポジウムのテーマの一つにとりあげられ、カナダ、中国、
ブラジル、オランダの演者が、それぞれの国の状況について議論をしました。最近50年間くらいの人口移動の中での都市集中(盲流)
あるいはドーナツ化現象のなかで都市の結核問題が再びグローバルに問題になっていることをありありと感じさせる企画でした。
極端にいえば米国をはじめ先進国の最近の結核逆転はその大半が大都市の結核状況の悪化に起因しています。歴史的に見ると、
先進国で結核の大流行が起こったのは、18世紀以降の産業革命、都市化が世界各地で起こってからですから、18世紀とはまた違った
パターンで都市が結核再興の焦点になっているともいえましょう。日本でもこの「都市の病理」としての結核問題が大都市で起こって
いるのではないか、という気がするのです。
○悪化する東京都の結核問題
全国では1980年ごろから結核罹患率の改善傾向が鈍くなったが、東京都ではそれがほとんど停止した状態になっています。
元来東京の結核罹患率は全国に比べて低く、順位では1975年には全国で下から数えて6位、ところが1985年には12位、1995年には
30位になっています(率では1995年の全国の罹患率は34.3に対して東京は33.8)。追いつかれ、抜かれてしまったのです。一体、
どのようにしてこの状況の悪化が東京で起こってしまったのか、全国の大都市のモデルとして東京を取り上げて
検討してみたいと思います。
○不健康な都心部、若者
年齢階級別に罹患率を東京都と全国と比較しますと、図1のように高齢者では東京都は全国に比べて罹患率は低く、
とくに70歳以上の高齢者では歴然とした対全国優位です。東京の高齢者のよい健康水準は結核だけではなくて、成人病一般に関して
前から指摘されているとおりです。ところが、20歳代〜40歳代では、明らかに東京都は全国よりも状況が悪いのです。それを反映して、
この世代を両親としてもつ子供たちもどちらかといえば、東京都は全国よりも悪くなります。
図1 年齢階級別に見た全結核罹患率 |
図2 全結核罹患率の推移 |
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年齢階級別に推移をみると、20歳代の罹患率は1985年あたりを境目にして全国を越えています。70歳以上では減り方が
少し全国よりも鈍いものの、東京都は全国よりも優位を保って推移しています。東京都が全国より状況が悪いのは、
主として青壮年階層に問題があるということになります。
次に区部と都下(市郡部)を比較すると、区部は一貫して都下よりも上位にあり、1985年以降の減り方の鈍化が激しい
ことがわかります。1985年以降の年間平均低下率は、区部では0.3%、都下では2%と差がつきます。問題はどちらかといえば
区部にあるということになります。区部の中でも20歳〜39歳ではこの10年ぐらいの間平均して罹患率は高くなったか、ほとんど
横ばいです(図2)。都下ではそういうことはありません。中年でもやはり区部と都下の差が明白です。
このように、東京都の悪化の問題は、1つは区部に、もう1つは若者にある、ということになります。
○スラム、社会的ドロップアウト
区部では特に浅草保健所、新宿保健所などの状態の悪さが数字ではっきりしております。感染源として重要な塗抹陽性の罹患率
は浅草保健所では、東京都全体よりも断然レベルが高く、1995年では東京都では人口10万当たり15、浅草保健所はなんと139、
新宿保健所が39でした。結核予防会島尾会長の言を借りれば「超高蔓延地域」ということになります。このような地域は特定地域
(英語ではポケットエリアなどと呼ばれるようです)東京以外の多くの大都会にもあります。最も有名なのが大阪の西成保健所で、
「あいりん地区」を抱えた保健所ですが、その全結核結核の罹患率は551(大阪市全体では106、全国は32)という極端な水準にあります。
これらの地域にはスラム街とか、簡易宿泊所街とか言われるところがあって、これが周りに比べて突出して深刻な結核問題を抱えて
いるわけです。
それら保健所管内の特定地区だけの状況を見ますと、推定ですが、浅草保健所管内の山谷では罹患率は人口10万当たり約2,500
(日本全体の70倍)、横浜の寿町も約1,800(同50倍)、あいりん地区は1,700(同50倍)となります。こういうオーダーの深刻な
結核の蔓延があることになります。先輩格のニューヨークでは、市全体の罹患率は全米の4倍、特定地域のハーレムでは20倍と
なっています。
なぜこういうところにそんな深刻な問題が集中するのか、私は2つの面があると思います。1つは貧困、そういう地域に住まざる
を得なくなった今までの事情および生活習慣等により結核が発病しやすい、再発が起こりやすいということ、もう1つは地域の
生活環境の悪さにより結核の感染を促されるということです。残念ながら、これらに関する細かい観察や研究はありません。
断片的ながら結核の治療の成績が悪いということがあります。浅草でも大阪でも治療を完了する人が50%〜60%といわれています。
日本全国では85%ぐらいが治療を完了しておりますから、明らかにこういうところの結核の治療は悪い、そのために再発が多い、
周囲に感染を起こすということがあり得ます。
最近そういう人々の間で感染が起こりやすい要因に関する観察が一つ調べられています。新宿保健所の中西先生たちが苦労して
調べた管内で発生するホームレスの結核患者の調査から、24時間サウナの利用が感染の機会になっているらしいということです。
これについては本誌の中西先生の寄稿をご覧下さい。
そのほかの特定地域の結核に関して、例えば、薬剤耐性はどのくらいあるのか、より正確な結核治療の成績はどうか、
患者の居住上の流出入はどうなっているのか、新宿以外での感染の機会はどうなっているのか、等々調べるべきことは
たくさんあります。
私どもは大阪大学の高鳥毛先生にお願いしてこの問題の研究プロジェクトを発足させ、日本の代表的な特定地域の
結核の問題を昨年度から調べております。意義深い結果が出ることが期待されます。
○健康管理の機会に恵まれない階層
上に示したのは人口が何千〜何万程度の小さい、いうならば特別の集団です。しかし同時にその周縁にある階層、集団のことも考える
必要があります。つまり、社会経済的な問題を抱えている生活困窮者一般、生活保護世帯やもっと広く小零細企業の労働者、あるいは
外国人労働者など、別の言い方をすれば「健康管理の機会に恵まれない人々」、そういう人たちに結核が集中化しているという見方が
必要なのではないかとに思います。
患者の職業を図3の凡例にあるようにTからX群までに分けますが、TからXに行くにつれて健康管理の機会に恵まれ難いとみられます。
それぞれの職業階層に結核が発生した場合、その中の重症(菌陽性、空洞型)で発見される人が何%いるかを見ると、T群からU群、
V群に行くにつれて重症が増えています。また、職業群別に見て、定期検診で発見された人がどのくらいいるかをみると確かにT群から
X群に行くにつれて、健康診断発見の割合が減っていきます。その結果先に見たように重症発見が多くなるというわけです。そこで私は
都市の零細企業労働者を「健康管理過疎集団」として都市問題の焦点のひとつとすべきだと考えています。
図3-1 職業区分別に見た重症発見の割合 |
図3-2 職業区分別に見た定期検診発見の割合 |
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○小規模事業所の結核検診実施状況
その観点から1992年、93年の2年にわたり東京都が行った小規模事業所の結核検診実施状況調査の成績は注目に値します(図4)。
図4 小規模事業所の結核検診実施状況 |
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事業所が5〜49人の小規模事業所(1992年は建設・製造業関係、93年は飲食業関係)の2種類の業種について調査しました。
実施している事業所の割合は、建設・製造業関係で76%(個別の検診を受けさせる、住民検診で代用するとかを含んで)、
本来の結核検診を事業所検診として実施しているのは49%です。飲食店関係では全体が59%、結核検診としてやっているというのが
30%しかありません。しかも経営規模によって歴然と差がついています。零細企業に勤めている人たちの健康管理はこのくらいしか
行われていないということです。制度上は事業者の責任ということになるのでしょうが、実際にはこういう事業所にはその力もない、
あるいは考え方も十分普及していないということでしょう。法制度の谷間の問題として保健所などの行政サービスの積極的な介入が
望まれるところです。
○外国人の問題
若者の結核ということで思いあたることは外国人のことです。日本で外国人の結核がこの数年間、非常に問題になっております。
言葉がわからないとか、健康保険がないとか、そういう現場での戸惑いから問題になりやすいのだろうと思います。日本で発生する
外国人結核患者は厚生省の調査では、全国の患者の1.2%を占めております。アメリカでは外国人が30%を占めております。
ヨーロッパの各国ほとんどが30%から50%が外国人、オーストラリアにいたっては70%です。日本の国際化というのも、その程度、
まだまだと見ることもできると思います。
ただし東京都については少し全国よりも多くて、全体で4.2%、20歳代では20%が外国人です。先ほどの20歳、30歳代の罹患率の
対全国超過は外国人によるところがかなり大きな部分を占めているということがわかります。地域によっては、ある保健所のように
管内全部の新登録者の11%が外国人というところもございます。このように年齢、地域によって、較差の1つの原因が、外国人の患者の
寄与ということも無視できません。
○日本式DOTSの可能性?
外国人患者の問題もいろいろな面があります。健康管理の機会に恵まれないということで発見が遅れる、同時に治療成績が芳しくない
ということが最も深刻な問題でしょう。この点では外国人も「健康管理過疎集団」の重要な一部分となっています。
結核治療の成績は全国ではコホート調査の成績から、84%が「治療終了」ですが、外国人についてのある観察では70%ぐらいという
成績が出ています。外国人の結核問題が健康管理の問題と同時に、治療をいかに着実に成功させるかという患者指導の問題が大きく
浮かび上がってきます。これはスラムの結核問題と同じように、まさに今後の大都市の結核問題の焦点として、患者管理・治療をいかに
成功させるかということの重要性を示しています。
もう1つ、今様の都市の結核問題としてHIV、エイズと結核の問題に触れておきたいと思います。幸い日本ではHIV流行の規模は大した
ことはありませんが、着実に上昇中です。私どもの研究班で全国の症例を集めていますが、これまでに59例のHIV陽性の結核症例が
知られています。そのうちの31例、半分以上が東京都に集中しています。
ニューヨークでは結核が1970年の後半から増えました。この原因として、社会的な落伍者、エイズ、外国人等々の問題があると
いわれます。東京でも見られるこれらの問題がニューヨークではとんでもない規模で起こっているということでしょう。
そのニューヨークでこのところ結核が減りだしました。DOTS(直接監視下の短期化学療法)を採用した結果ということです。
東京都においてもDOTSの根本的な考え方である対策の強化・見直しが、問題の解決に非常に重要なことであろうと思います。
○豊かな資源で問題解決を
最後に、上記のような困難な結核問題を抱えた大都市ではありますが、東京都を始めそれに対応するうえでの大きな利点を持って
いることを指摘したいと思います。それは専門家、専門施設、こういった対策の資源が非常に豊富にあるということです。
こういう資源を活用して、対策の強化をこれから進めていけば、それによって、ニューヨークの状況を回避することができると
確信しています。