1998年のTSRU会議は3月18日〜20日、ドイツのベルリン市で開催された。昨年3月のソウルでの会合に続いて1年ぶりの集まりである。世話人はドイツ結核対策中央委員会(結核予防会)ロッデンケンパー博士。
1966年、オランダ結核予防会とWHOの肝煎りでIUAT(国際結核予防連合。後にIUATLD(国際結核肺疾患予防連合)のもとに設立されたこのこぢんまりした研究・協議組織は、初め低蔓延国の結核対策のあり方を追求してきたが、後の高蔓延国の問題も扱うこととなり、その活動の中から世界の結核対策の基礎となる知見を生み出してきた。例えば感染危険率(ARI)、患者発見の遅れ(Delay)など、そしてDOTS方式にもたぶんにこの研究会の活動が寄与している。現在この組織にはオランダ、日本(1978年以来)、韓国等9カ国が加盟しているが、1年から1年半毎の会合にはWHOのほか色々な国の人が自由に参加している。
ところで、この会は本年は青天のへきれきとも言うべき出来事に見舞われた。設立以来本会にとって倦むことを知らない牽引車であったスティブロ博士が会合寸前の3月13日急逝したのである。彼の発表予定の論文はすでに出席予定者に配られていたのだが、生前心血を注いできたタンザニアの対策評価のための「第3回ツベルクリン調査成績」は文字どおり遺稿となってしまった。参加者一同は偉大な支えを失った空しさに耐えつつ、黙祷を捧げてから討議に入った。
今回の参加は米国、中国などを加えて総勢40人程度、日本からは筆者だけとはちょっと寂しい。2日半の間に発表、討論された論文テーマをざっと挙げて討議内容の紹介に代える。@〜Cには質疑のあと、指定したモデレーターの講評と検討が行われた。
@結核感染危険率の観察・推定(エジプト、タンザニア、調査方法論)、
AHIVと薬剤耐性結核(ケニア、ベトナム、調査方法論)、
B分子疫学(オランダ、ドイツ、韓国)、
C結核対策、医療制度改革(ケニア、韓国、WHO、中国)、
Dその他(DNA指紋法から見た感染−発病期間の推定、BCG再接種、高度と結核発病リスク、再治療失敗例の予後、小児結核、医療職員の結核、結核患者の早期死亡)
なお、次の会合は1999年フィンランドと決まった。