「結核対策の包括的見直しに関する提言」解説
結核研究所長  森  亨


 2002年3月20日、厚生科学審議会感染症分科会結核部会が標記のような報告をまとめて、上部組織である感染症分科会に提出しました。同部会では2001年7月に厚生労働省健康局結核感染症課から諮問を受け、結核対策の抜本的な見直しと今後のあり方について精力的に審議をしてきましたが、その結果をまとめたのがこの提言です。審議の過程では本会結核研究所、第一健康相談所の医師、研究員もワーキンググループのメンバーとして準備作業に加わっています。以下、本提言の構成を追いながら内容を簡単に紹介します。なお、文中の用語法や表現は原文と変えてある箇所が多くあり、この小文は逐条解説ではなく、あくまでも筆者の目で見た紹介記事としてお読みいただきたいと思います。
 部会員は以下の15名です。阿彦忠之(山形県村山保健所長)、植田和子(高知市保健所長)、柏木征三郎(国立病院九州医療センター院長)、川城丈夫(国立療養所東埼玉病院長・副部会長)、工藤翔二(日本医科大学教授)、澤田誠悦(自治労中央本部衛生医療評議会事務局長)、重藤えり子(国療広島病院医長)、菅沼安嬉子(菅沼三田診療所)、高松勇(大阪府立羽曳野病院医長)、高橋滋(一橋大学教授)、丹野瑳喜子(埼玉県衛生研究所長)、藤本道生(岡山県和気町長)、南砂(読売新聞社編集局解説部次長)、森亨(結核研究所長・部会長)、雪下國雄(日本医師会常任理事)

◆はじめに◆
 ここでは、1999年の結核緊急事態宣言前後の一連の動きなど、今回見直しを諮問するに至った経過について簡単に述べ、提言が「あらたな対策への起点となる」ようにと念じている。

結核及び結核対策を取り巻く状況の変化◆
 
ここでは抜本的な見直しが必要になった背景を総括した。まず現行施策を結核予防法に基づく施策、法律に基づかない予算措置(結核対策特別促進事業、結核研究等の推進、結核発生動向調査事業、一般病床・精神病床を用いた合併症を有する結核患者治療のモデル事業)に分けて整理した。
 その上で、結核予防法が施行された1951年から現在までの結核及び結核対策を取り巻く状況の変化について考察している。例えば、疫学像の変化として小児・青年層における既感染率の低下、罹患者数と罹患率の低下、罹患率の地域間格差の拡大、罹患者の特性の変化、病態の多様化・複雑化(患者発生の中心が青年層から中高年層へ移ったこと、基礎疾患合併患者の増加など)、社会的弱者への偏在(貧困者、住所不定者、外国人、その他健康管理の機会に恵まれない人々等)、薬剤耐性結核増加の兆し―などがある。またこの間の医療技術等の変化としては、診断技術の進歩、治療方法の進歩による治療期間の短縮・再発率の低下、診断・治療技術等の偏在(全体として水準が低下)、予防施策の知見の蓄積などが挙げられる。
 さらに社会的状況の変化として、国民・医療関係者・行政関係者等の結核への関心の低下、医療提供体制の変化(医療保険制度の拡充等)、医療資源の増大(医療機関や受診機会の増加、国民医療費総額の増大等)、社会経済的弱者の地域的偏在、社会環境の変化、人権への配慮、医療行為(予防接種を含む)等への関心の高まり、地方分権と公的セクターの役割分担の変化、保健所の再編や役割に対する認識の変化―などを上げている。

今後の結核対策についての具体的な提案◆
1.基本理念

 ここではまず、結核は依然としてわが国の重大な感染症であり、それゆえ「結核及び結核対策を取り巻く特殊性に基づいて独立した対策を維持することが適当である」として、当面結核対策は感染症法のような包括的な法の中で扱うのではなく、従来通り独立した対策体系とすべきであることを確認した。
 次に、今後の対策の重大なポイントとして、高齢者・大都市部の問題、現在の行政システム・医療システム等の最大限の活用、重点的な施策体系の再構築、人権を重視した「患者支援・患者中心主義」の施策、一律的・集団的対応からきめ細かな対応への転換などがある。
2 .具体的な方策
 このような基本理念に立って、これからの対策は@現在の疫学的な状況に対応すべきこと、A予防・医療両面の科学的知見を反映すること(Evidence- based Health Care)、B対策理念の変更、特に近年の人権を重視した考え方。これは結核患者の人権への配慮と同時に、患者から感染を受ける可能性のある者の「感染を受けない」人権にも配慮すべきであること(患者の人権制限的な措置は最小限にすべきであるが、感染防止の上での必要性があると認められる場合は、明確な手続規定を設けて隔離入院など確実な措置を実施する)、また従来の患者管理についても、患者支援・患者中心主義の考え方(Patient- oriented approach )を徹底する、さらにC施策の強力な推進体制の再構築として、国・都道府県・市町村の役割を明示して、地域格差の改善を図るべきことを述べている。
3 .主な具体的な対策の見直し
以下、各対策方策のあり方について述べている。

1)患者の早期発見
 一般(定期)健診が極端に低効率化したことに関して、健診の実施時期(間隔)を見直すことにするが、これは単に「間引き」をするだけではなく、その補完策として発見された患者にかかわる接触者健診の励行、有症状受診時の迅速な診断を促進するような合理的な早期発見体制を確立すべきであるとしている。
 まず学校においては、小学校の入学時のツベルクリン反応検査とそれに続く個別の精密検査による健診は廃止する。中学校については存廃の結論は出ていない(目下感染症分科会で検討中、6月はじめに結論が出る予定である)。
 次に15歳以上、40歳未満のローリスク層については入学時、転入時、就職時、転勤時、節目時のみ胸部X線検査を行う。一般住民40歳以上では現在行われている一般健診を維持する。考え方によっては、これも中高齢者を対象とした次のハイリスク健診と見ることもできよう。
 ハイリスク層・デインジャー層では年齢を問わず、発病しやすい者、発病すると二次感染を起こしやすい職業などについている者への年1回の健診の勧奨を強化する。ハイリスク層の例として、長期療養施設(高齢・精神障害その他)入院・通所者、特定まん延地域住民(例えば、大都市の一部特定地域)、特定住民層(ホームレス、小規模事業所労働者、日雇い労働者、高まん延国からの入国後3年以内の者など)等が挙げられている。デインジャー層の例としては、教員、医療従事者、福祉施設職員、救急隊員等がある。これらの施策は制度として具体的にどのように推進するか、実質的な内容を確保するかが大きな課題となろう。
 健診の手法としては胸部X線撮影のみならず、喀痰検査の重要性を強調している。また職業的に感染リスクの大きい集団ではツベルクリン反応検査(特にベースラインのツ反検査)を推奨するとしている。
 これらの積極的患者発見を補完するものとして、有症状の早期受診・診断及び積極的疫学調査(接触者検診)を充実、強化することの重要性を強調している。有症状時受診については、第一線の医療機関に結核を積極的に疑うよう啓発に努めるほか、喀痰検査の普及を図ること、結核患者が新たに発見された場合には感染源や感染経路の究明や患者接触者の把握等を目的とした積極的疫学調査を行うこと、そして接触者に対して行う接触者検診を強化して漏れなく適切に実施することが重要であるとしている。現在日本の患者の8割が有症状受診発見であり、15%が定期健診、3%が接触者検診によって発見されている。罹患率が5分の1程度のオランダでは、7割が症状から、残りのうち2割がハイリスク健診、1割が接触者検診である(定期健診に同等するサービスは行われていない)。日本もこのような選択的健康診断の方向を強化すべきであろう。
 さらに広域的な感染の拡大を発見・確認すべく保健所等から得た結核菌の遺伝子レベルでの情報(fingerprinting )を中央に集積し解析することや感染経路解明のためのシステム等の実現可能性を積極的に検討すべきである。このようなことも既にオランダ、ノルウェー、米国の大都市やいくつかの州では数年前から行われている。なおこれは結核菌検査の精度管理とも密接に関連しよう。

2)BCG再接種の中止、初回接種(乳幼児期)の徹底
 BCG再接種の結核予防効果があることについてのコンセンサスはなく、例えあっても今の日本ではごく小さいと考えられている。さらに接種を繰り返すことの経費や不利益も無視できない。そこでBCG接種は乳児期に1回のみ行うこととし、その対象者に対しては確実な接種を行い、1歳6カ月児健診や3歳児健診で接種瘢痕を確認し、未接種の場合には、早急に接種を受けるよう勧奨することとしている。
 接種は6カ月までの乳幼児に行うこととしているが、その場合、周囲に感染の機会がない場合、ツ反検査をしないで接種(直接接種)することについては、高まん延地域ではツ反検査を先行して行うことが、乳幼児結核の早期発見を考える上で有利であるとの考え方もあり、引き続き検討が必要である。この点についても感染症分科会で検討中であり、決着は6月上旬となろう。

3)結核の医療対策−治療成功率向上のための措置
 結核医療に関しては、証拠に基づく医療(Evidence-based medicine )を貫くこと、そして患者が確実に治癒するのを見届けることを特に重視して、そのための方策を提言した。これは先に行われた緊急結核実態調査などで日本の結核医療がPZA の不適用、不必要に長い治療期間や入院期間といった問題を持っていること、治療成功率が決して十分でないことなどが明らかになったことによるものである。これに関しては次項(受け皿の整備)と共に、まず治療の質的向上について以下の点を提言した。

@標準治療法の普及と徹底:診査協議会の強化をはじめ、医療経済上のインセンティブの導入(先頃発表された入院医療費の改訂で3カ月以内・以上の入院に対して加算・減算を導入したような)、また医療基準等のタイムリーな改訂など。

ADOTSの積極的位置付け:DOT(直接服薬確認治療)を中心とした結核患者の治療を公的に支援する総合的戦略DOTSが世界の標準的治療・患者支援方式となっているが、わが国においても、わが国のシステムを有効に活用した「日本版21世紀型DOTS戦略」が提唱されたが、これをより実質的に普及させることが望まれる。そのために、例えば保健所が地域DOTSの拠点となることなども示唆している。

B発病前治療の導入:高齢者、糖尿病患者など既感染者からの発病の可能性が高い者に対する予防内服の効果が期待されており、一部、国の補助事業においても実施自治体を支援している。発病予防を目的とした処方について、薬剤の組み合わせ、投与期間、対象とする者の選択基準等について明確な基準を示し、実際に必要以上の投薬が行われることなく、かつ必要な者については確実に結核の発病を防ぐことができるよう検討すべきである。

4)結核の医療対策−医療の受け皿の整備
 近年、糖尿病等の合併症、精神障害やHIV感染など、結核以外の医療上の問題を持った患者が増加している。これは患者の重症化と関連しており、結核の治療成績を低くする要因となっており、結核以外の疾患への適切な医療の提供も十分に考慮に入れた医療の提供が求められる。このための方策として以下のような点を提言している。

@結核病床の機能分化の促進:結核患者の入院治療の病床を、多剤耐性結核患者の治療を目指す重装備結核病床、標準的な新規結核患者の短期治療を目指す結核病床、長期慢性病床(社会的背景等により外来通院での治療継続が困難と考えられ、入院により服薬遵守が必要であると判断される患者が入院)、合併症準結核病床(現在の結核患者収容モデル事業により指定された病床のイメージ)などのようなタイプに整理分類し、それぞれが効果的に機能できるような体制の整備を考えるようにとの提言である。ただしそのための具体的な方策は当面何も示されていない。

A計画的整備・確保:結核医療のための施設について、施設基準・診療機能の基準等を明確に設け、適切な医療提供体制を維持・構築する必要があるとしている。

B人権を尊重した確実な医療の提供:この場合の人権としては、患者・感染者の人権と感染を受ける可能性のある者の人権の両面がある。患者・感染者については、適切な医療を受ける権利、他者への感染防止のために過剰あるいは不適切な人権の制限が行われない権利、さらには、不当な差別・偏見を受けない権利などが考えられる。感染を受ける可能性のある者については、一般の生活の中で、患者からの感染を受けることが最大限回避される権利、患者・感染者との接触の可能性による調査等において、過剰あるいは不適当な介入を受けない権利などが考えられる。これらの人権を尊重するためには、人権を尊重した行政手続きの整備(都道府県に1つの協議体を設置して患者に対して人権制限的な行政対応を要するまれな症例について審査する)、最新の知見に基づく医療基準の提示、基準を明示した上で、医療機関を知事指定(5年毎の見直し規定)、医薬品の確保・研究開発に関する国の努力義務などをうたっている。
C非結核性抗酸菌症:いまこの患者の多くは結核患者として取り扱われているが、同症は、結核症とは異なることを明確に認識し、一般医療としての対応ができるよう、治療等の保険適応などの整備を行うといった努力をする必要がある。

4 .対策を進めるインフラの充実強化 (行政機関,医療機関の役割分担)
 既存の保健所や健診システム等をインフラとして最大限に活用し、迅速に効率的なシステムを再構築する必要があるとして、以下のような点について提言をしている。

1)事前対応型行政
@
結核発生動向調査体制等の充実強化:
結核の発生状況や対策の実施状況は、結核予防法による届出や入退院報告に加え、法律に基づかない(予算措置で実施)発生動向調査(いわゆるサーベイランス)事業により把握されている。これは結核のまん延状況の監視情報のほか、対策面(発見方法、発見の遅れ、診断の質、治療の内容や成功率、入院期間など)の評価に関する重要な情報を含んでおり、その精度の向上や有効活用のために、制度的な整備を行うことを検討すべきである。先の緊急実態調査の中で、人口動態統計における「結核死亡」の65%だけが結核登録で把握されていたに過ぎないということが判明し、結核患者のかなりの部分が未登録である可能性が示唆された。このような事態を改善するためにも、体制整備は重要である。
A国の基本指針(結核制圧5カ年計画)の策定:結核以外の主な感染症対策については、感染症法に基づき、国が基本指針を示して各都道府県が予防計画を策定することとしている。生活習慣病対策として各自治体においては、国の「健康日本21」に基づく計画の策定が行われ、具体的な事項と将来的な数値目標を盛り込んだ計画を策定または策定中である。結核についても、これらを参考にしながら、国は結核対策の指針を示すと共に、中核となる対策上の目標を明示すべきであるとしている(例.DOTS率70%、治療成功率85%など)。
B都道府県の予防計画の策定:都道府県は各自治体の状況(まん延度や対策資源の実情)に見合った「都道府県結核予防計画(仮称)」を策定し、その行政目標、そのための方法等を明記すべきであるとしている。

2)国・都道府県等の機能の明確化
 行政の大きな流れである「地方分権の推進」は結核対策においても必要であるとして、地域の実情に応じた効率的な施策が展開すべきことを唱えている。そのために対策の「2階建て」構造を―つまり全国的施策を基本(1階部分)とし、地域格差解消のために、各地域が行うことが望ましい追加措置(2階部分)を定めること―などが提案されている。具体的には以下のとおり。
@国:結核対策推進の重要性に対する認識の普及、対策に用いる公共財(例.結核研究所、検査の精度管理等)の開発・確保・維持
A都道府県:発生動向調査の実施と分析に基づいて、医療機関・市町村等に対する対応の指令塔としての機能。二次医療圏単位に必要とされる結核病床についての検討を行い、適切な対策を検討する実働部隊として保健所を位置付けると共に、国の策定するシビルミニマムを越えるきめ細かな事業の計画と実施。
B市町村:BCG接種や健康診断の実施主体としてのほか、患者支援や住民に対する普及啓発にも役割を期待。

3)保健所の役割
 公衆衛生対策上の拠点としての保健所の役割の明確化:結核対策の実働部隊としてその重大な役割を確認した。
@患者支援:「治療終了後の健診を含めた患者管理」から「治療成功をめざした患者支援」へ転換。ここでは副次的に治療終了後の管理検診の廃止を示唆している。個別患者支援計画(DOTS 計画)の作成とモニタリング(コホート分析の強化)。地域の実情等に鑑み、必要な場合においては地域DOTSの服薬拠点となる。これは既に大阪市あいりん地区、東京都台東区・新宿区、川崎市、横浜市、名古屋市などで小規模ながら取り組みが始まっている。
A結核の地域情報センター:患者登録、発生動向調査、結核対策の評価
B結核の予防対策や医療の質の保証:BCG接種技術や健診精度の確保、結核診査協議会や研修による適正医療の確保
C個別患者発生時の疫学調査と危機管理:定期外健診の実施、集団感染対策
D市町村への技術支援・指導

4)国内対策の延長としての国際協力への取り組み
 
途上国の結核問題はわが国の結核対策の延長線上という認識(国境無き結核問題)で、結核対策分野の国際協力に対して組織的、財政的な措置を日本として行うことの意義を述べた。

◆おわりに◆
本文中でも触れましたが、この「提言」は目下厚生科学審議会感染症分科会で検討中であるが、今の予定では6月上旬頃にはそれが終了して審議会の具申として厚生労働省に返され、平成16年4月に実施に移される予定の制度作りに生かされることになっています。したがって、具体的な個々の方策がどうなるのかは明確ではありません。今後の厚生労働省の動きに注目していきたいところです。
 なお、この「提言」の中からBCG接種や健康診断の改廃のような具体的で分かりやすい部分だけが採り上げられ、あたかも「間引き」が答申されたかのようにとられるとすれば、それは大きな誤りと言わなければなりません。結核予防体系というシステムの一部分だけを採り上げて議論しても、システム全体の変更の中に位置付けられなければ有害無益というものです。


updated 02/06/28