公益財団法人 結核予防会結核研究所

結核研究所の沿革

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結核予防会の創立

 結核予防会が創立された昭和14年当時は、結核で死亡する者は1年間に十数万人に達し、死因の首位を占め、人口10万対の死亡率は200を越えていた。しかも患者や死亡者は青年に多く、 結核は国民衛生上の最大の課題であった。

 この事態を憂慮された皇后陛下から、官民力を合わせて結核の予防に努力するようにという令旨とともに、ご内帑金50万円を下賜されたのが、昭和14年4月28日のことであった。政府の対応は極めて早く、当時の平沼内閣は5月1日の閣議で、官民一体となって結核予防を遂行するために結核予防会を設立することとし、5月20日に秩父宮妃勢津子殿下を総裁に奉戴するお許しがあり、5月22日には寄附行為が認可されて、結核予防会が発足した。

東京都北多摩郡清瀬村に設立された結核研究所研究部(1943年:昭和18年)

東京都北多摩郡清瀬村に設立された結核研究所研究部(1943年:昭和18年)

 結核予防会は創立以来活発に事業を展開したが、その主なものは①調査活動、②結核研究所の設立と総合的な研究の実施、③啓蒙宣伝活動、④模範地区の設定と結核対策のモデル活動の実施、⑤結核予防職員の養成などであった。調査活動は、学校、工場、事務所、青少年の結核事情の調査と対策の企画、結核予防の行政の統制、結核予防技術の向上の6部会に分かれ、調査、研究を行い、その成果を関係官庁に建議することを目的としていた。

 結核研究所は、現在の結核研究所(現在の複十字病院は研究所の診療部であった)だけでなく、当時の保生園(現在の新山手病院)が療養部門、第一健康相談所が外来診療と健康相談、集団検診を担当し、総合的に結核対策推進の基礎となる知見を得るための研究を行うという雄大な構想であった。

 普及広報活動は、結核が死の病として恐れられ、伝染病として嫌われていた状況の下で、正しい結核とその予防についての知識普及のため、出版、講習会、展覧会などを通じ活発に進められた。

戦後の動乱期

 予防会の始めた諸事業は、やっと緒につき始めたところで、第二次大戦の激化に伴い活動の中止を余儀なくされ、戦災のため第一健康相談所の一部が焼失、第二健康相談所は全焼したが、郊外にあった結核研究所と保生園は戦災を免れた状態で終戦を迎えた。

 国民生活は困難を極め、結核は強くまん延していた。予防会もその基金であった国債および国策会杜の社債の価値低落により、日常活動の資金にも不自由する事態となった。また半官半民の組織であるといっても、実際には官の影響が強かった組織を、戦後の民主化の風潮に合わせて財団法人として再編成する必要もあった。

 昭和21年3月に寄附行為が改正され、4月には副会長島津忠承が民間人として初めて会長となったが、経営は困難を極め、7月には機構の簡素化、人員整理をせざるをえない事態となった。翌22年1月には勝俣稔が副会長兼理事長となり、5月には石坂泰三が財界を代表して副会長に就任し、再建のための体制が固められた。

 この時期に結核予防の旗を高く掲げて、世に警鐘を鳴らしたのが有楽町での街頭検診である。昭和21年7月に隈部英雄に率いられた上北沢予防所の職員は、有志の医学生らの協力を得て、有楽町駅前にテントを張り、エックス線検診を行い、結核予防の重要性を世論に訴えた。

 研究も戦争直後の多くの困難を克服して進められたが、中でも特記すべきものとしてBCG凍結乾燥ワクチンの開発を挙げることができる。これによって便用前の安全テストの実施が可能になり、遠隔地への輸送の問題も解決した。確立されたBCG製造は、現日本BCG製造株式会社に引き継がれた。

 集団検診再建の努力も続けられて、ツベルクリン反応検査と胸部X線間接撮影を基本とし、精密検診を含む集検の実施方法と事後措置の方法も予防会によってまとめられた。

 隈部は大渡順二と共同で保健同人社を通じて結核の正しい知識の普及に努め、適切な療養方法を指導した。患者への病状や治療方針の説明が医師側からほとんどなされない時代の画期的な出来事で、現在のインフォームドコンセントにあたると言える。

近代的な結核対策への協力

 厚生省は昭和26年に結核予防法に大改正を加え、BCG接種、健康診断、適正医療の普及を3本柱とする新しい結核予防法を実施に移した。

 予防会は新しい手技の技術的な基盤の整備とその実施に全面的に協力した。全国の支部が検診やBCG接種の普及に努め、結核研究所では保健所の医師、エックス線技師、保健婦の研修を行い、新しい技術が全国どこでも同じような水準で実施できるようにした。

 昭和28年に国が初めて行った結核実態調査については、企画、判定、解析の全段階で予防会が中心的な役割を演じ、、その結果が検診の全国民への拡大、検診や予防接種の費用の全額公費負担となったことは周知のとおりである。

 検診の普及に伴って発見された患者について調査した結果、治療を受けない者、途中でやめる者が意外に多いことが明らかにされ、その対策として患者を登録し管理する制度が作られたが、これにも本会は研究推進の中核となった。ミラー・カメラ、BCG経皮接種など本会が開発に協力した分野も多い。 いま一つ特記すべきことは、結核予防関係婦人団体連合会の結成である。長野県下御代田村の小学校での集団発生を契機にして、昭和25年に長野に生まれた婦人の結核予防の組織は、昭和32年には全県にわたる結核予防婦人会長野県連合会に発展し、その後この動きは静岡、秋田などに広がり、御殿場研修を通じて全国組織に発展させる機運が生まれ、昭和50年に全国結核予防婦人団体連絡協議会が結成された。これらの婦人組織は、検診受診率の向上、結核の普及広報活動、複十字シール募金などに全面的に協力してくれている。

低まん延時代の対策へ

結核研究所の改築

結核研究所の改築
(1965年:昭和40年)

 予防、早期発見、隔離と治療を柱とする結核対策の中で、感染源対策として最も効果的であったのは、化学療法による排菌症例の減少であり、抗結核薬の開発、普及に一致して、全国の結核患者数は、急速な減少を示していった。その意味で、外科治療も含めた結核治療の体系化は結核対策の重要な柱であり、結核研究所は結核病学会との協調の下に、時代に対応した結核医療の適正化とその普及とを、各種所内研修や全国への出張しての講習会などを介して行ってきた。

 このような対策の総合的成果により、結核の蔓延状況は着実に改善した。殊にかつての日本の結核の特色であった青年期の罹患率や死亡率の高い山は完全に消失し、結核は中高年層に多くみられる病気となった。

 このような疫学像の変化に対応して、小中学生の検診の回数が昭和49年に削減され、BCG接種も4歳に達するまでと、小学校入学時および中学校卒業前に行うように定期化された。翌50年にはハイリスクの者に対する化学予防の枠が小中学生まで拡大された。その後も結核は減り続けたので、昭和57年には高校生年齢の検診が削減された。

 昭和62年1月からは、保健所にパソコンを設置して結核および感染症のデータを入力し、これを都道府県、国のコンピューターと結ぶ結核・感染症のサーベイランスの体系が導入された。   

 このようにして、国の結核対策は低まん延時代の対策に移行していったが、結核予防会はこの過程で全面的に国に協力し、新しい技術を開発し、その普及に努めるとともに、転換期にある結核対策の推進を支援した。

結核予防会の果たしている役割

 本会が創立された当時人口10万対で200を越えていた結核死亡率は、昭和61年には3.4となり、昭和26年には59万人が新たに結核患者として届け出られ、人口10万対の罹患率は698であったが、昭和61年には新患数は57,000人、罹患率は47まで低下した。昭和29年には総医療費の28%が結核で占められていたのが、昭和60年には1%まで低下した。

 これらの数字はいずれも結核対策の成果を示すものであり、この輝かしい成果に対して、予防会は行政を支える学問の面からも、対策の実践や普及広報活動の面からも大きく貢献してきた。皇后陛下の「官民力を合わせて結核予防に努力せよ」という令旨を、文字どおり実践したものと言えよう。

 国や都道府県、市町村など行政側の強い意思と努力、国民の協力があったとはいえ、50年という期間で結核をここまで減らすことに大きく貢献した予防会の業績については、誰もが賛辞を惜しむものではなく、私どももその団体の一員として、大いに誇りに思ってよいことである。   

結核予防会の国際協力

結核研究所の新築(1989年:平成元年)

結核研究所の新築(1989年:平成元年)

 日本国内における成果とは別に、結核予防会は国際的にも世界の結核対策の推進に大きく寄与している。その最初の場は、第二次大戦中から戦後の困難な時代に開発されたBCG乾燥ワクチンであった。その優れた性能は世界中から注目され、その技術を特許を取らずに公開したこともあって、日本の評価を高くした。

 結核予防会の国際協力事業は、1960年代以降政府による国際協力事業の拡大に伴い、政府や国際機関への協力を中心に展開されてきた。1975年には本会の事業基盤である「寄付行為」が改訂され、事業の一つに「結核対策に関する国際技術協力」が追加された。1988年には結核研究所に国際協力部が設置され、従来の活動が強化されることになった。1993年より従来の政府ベース国際協力事業に加え、本会独自の民間ベース海外プロジェクトも行われるようになり、1998年には、本部普及課に国際協力室(2001年からは国際課)が設置され、本会の国際協力事業の窓口ができた。現在までの事業を大別すると、1)国際機関との連携協力、2)開発途上国に対する人材育成、3)途上国への対策支援、4)共同研究、5)民間支援などである。

 結核研究所は、上記の活動の拠点として重要な機能を果たしてきた。職員の海外派遣では、1957年に東義國氏がコペンハーゲンにあったWHOのTRO(Tuberculosis Research Office)に派遣された。また1960(昭和35)年、結核対策専門家のアラブ連合共和国への派遣に端を発し、当時のOTCA(海外技術協力事業団、現在の国際協力機構(JICA)の専門家としてアジア諸国への派遣も増加した。現在ではアフガニスタン、カンボジア、中国、フィリピン、ミャンマー、ネパール、パキスタン、イエメン、ガーナ、ザンビアに支援を行っている。特に1963年(昭和38年)より政府の委託により開設された結核対策国際研修コースは、その後に併設された2コース(上級対策コース、細菌検査コース)と併せ、国際的人材育成事業として世界的な評価を得ている。1994年よりエイズ予防財団の委託により、アジア・エイズ対策国際研修コースも開催し国際エイズ対策活動にも寄与している。現在(2005年2月)までに世界93カ国、1890人の人事育成がなされ、2002年は、国際研修コース40周年を迎えた。世界各地の現場においても、結核問題が深刻化しており、日本の国際社会での立場を背景としたニーズの増大に基づき、プロジェクトの形成・後方支援、研究や情報活動など、長期的・戦略的なビジョンを持った活動が展開されている。また、世界保健機関 (WHO)から、開発途上国の結核対策支援の一環として、結核に関する研究協力機関に指定されている。1992年には、それを受けて「国際結核情報センター」が開設され、アジアを中心とした世界の結核エイズ情報をWHOと協力して収集・分析・管理している。さらに、WHOの委員やIUATLDの理事も務め、世界戦略の作成に貢献している。

 結核は今や世界における重要な保健問題であり、国際的にも世界保健機関を中心としてStop TBのかけ声もとで、DOTSの推進のために国際的な貢献と連携が強化されつつある。このような流れの中で、日本への期待も大きく、実質的にこの分野で唯一の専門機関である結核研究所の役割は増大するであろう。

結核研究所の沿革

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昭和14年(1939) 5月 皇后陛下の令旨を賜り、秩父宮妃殿下を総裁に仰ぎ、財団法人結核予防会が設立される(厚生省内)
昭和14年(1939)11月 結核研究所が東京府下北多摩郡東村山村野口の保生園(現新山手病院)に開設される
昭和18年(1943)11月 結核研究所が東京府下北多摩郡清瀬村大字下清戸(現所在地)に移転
昭和22年(1947)11月 結核研究所附属療養所開設
昭和23年(1948) 2月 第1回結核専門家国内研修開講 以降毎年継続
昭和26年(1951) 5月 結核予防法全面的改正
昭和26年(1951) 7月  結核予防技術者の研修を国の委託事業として開始 
昭和27年(1952)11月 BCGワクチン製造部門を日本ビーシージー製造(株)に移管
昭和28年(1953) 第1回結核実態調査実施以後5年ごとに行い昭和48年まで計5回実施
昭和29年(1954) 9月 「結核の統計」発行。以降毎年発行
昭和33年(1958) 4月 附属療養所(現複十字病院)が分離、研究所は国庫補助と予防会資金により運営
昭和38年(1963) 6月 第1回国際結核医師研修開講 以降毎年継続
昭和40年(1965) 4月 結核研究所棟完成
昭和40年(1965)11月 国際研修胸部外科コース開設
昭和41年(1966) 5月 第1回日米医学協力結核専門部会合同会議東京で開催
昭和41年(1966)10月  第5回ERC(国際結核予防連合東部地域会議)を東京で開催
昭和48年(1973) 9月 第22回国際結核会議を開催(東京)
昭和48年(1973) 9月  国際研修上級コース開設
昭和50年(1975) 4月 結核研究所運営費国庫補助大幅増額 100%補助
昭和50年(1975)10月 国際研修細菌技術者コース開設
昭和57年(1982) 8月 WHO(世界保健機関)研究協力センターに指定
昭和63年(1988) 4月 国際協力部設置
平成 元年(1989) 6月 現研究所棟完成
平成 4年(1992) 4月 国際結核情報センター設置
平成 5年(1993)11月 第1回アジア太平洋結核対策推進会議を開催(東京)
平成 5年(1993)11月 結核研究所動物研究棟完成
平成 6年(1994) 4月 結核予防会 秋篠宮妃殿下総裁に推裁
平成 7年(1995) 2月 第1回アジア地域エイズ専門家研修開講 以降毎年継続
平成11年(1999) 3月 対策支援部設置
平成11年(1999) 7月 厚生大臣が結核緊急事態を宣言
平成12年(2000) 結核緊急実態調査実施
平成15年(2003) 4月 研究部(研究プロジェクト制)と抗酸菌リファレンスセンター設置
平成17年(2005) 4月 改正結核予防法が施行される
平成19年(2007) 4月 結核予防法が感染症法に統合される
平成20年(2008) 9月 結核菌バンク、臨床・疫学部および疫学情報センター開設
平成21年(2009) 4月 優先課題プロジェクト設置